「まだ信じられない気持ちです。今、とてもきれいな顔をして眠っています。何度も起こそうとしましたが、彼は眠ったままで…」
1998年5月2日、衝撃の自死を遂げたX JAPANのメンバー、hideこと松本秀人(享年33)。6日に東京・築地本願寺で執り行われた告別式で、マイクの前に立ったリーダーのYOSHIKIは、泣きはらした目をサングラスで隠し、白いハンカチで何度も涙をぬぐいながら、声を詰まらせた。
hideが、フジテレビの番組収録後、自身のバンドメンバーと飲みに出かけ、マネージャーである弟が自宅マンションまで送り届けたのは2日午前6時半だった。だが、その1時間後、同居していた女性が、タオルを寝室のドアノブにかけて首を吊っている彼の姿を見つけ、救急に連絡。広尾病院に運び込まれたものの、手当ての甲斐もなく、その短い命に終止符が打たれたのは、午前8時52分のことだった。
当時、ビジュアル系ロックバンドとして、カリスマ的人気を誇っていたX JAPAN。そのメンバーの死が、若者たちに与えた衝撃はあまりにも大きいものだった。
4日には、東京調布市内の中学3年生が首を吊り、死亡。千葉市では16歳の女性が陸橋から飛び降りて重体。6日にも、築地本願寺で19歳の女性がカッターで手首を切るなど、後追い自死を含め、負の連鎖が日本列島を飲み込んだのである。
6日には築地本願寺で急遽、X JAPANのメンバーが記者会見を開いた。その場でマイクを取ったYOSHIKIは、
「絶対にそういうことはしないでください。hideが一番悲しむと思います。今こそ、ファンと一体になってミュージシャンらしい最後を飾ってあげたい。1人で煮詰まらずに、最後のhideの旅立ちを送ってほしいと思います」
そう語ってファンに「命を無駄にしないで」と呼びかけたのだった。
YOSHIKIによれば、前年、TOSHIの脱退により解散という形になったが、すでに残った3人でバンドを続けるという結論が出ていた。まさにそんな矢先の出来事だったという。
「僕らは『バンドは解散しても、親友でやっていこう』と誓っていたし、hideもそういう気持ちでいて…。未来の第2のXに関しても話していた。だから、僕は今でも今回のことは事故だと信じています」
事件後、私もhideを知る音楽関係者や知人らを取材したが、その多くが「hideが思い詰めて死を選ぶなど考えられない。偶発的事故ではないのか」と異口同音に答えていた。
衝撃の死から今年で24年。死の真相はわからないままだが、時を経てもなお、ファンの心の中には、hideというミュージシャンが生き続けていることは間違いない。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。