7月17日、七月名古屋場所の中日に珍事件が勃発した。
ひとり横綱・照ノ富士に挑んだのは東前頭4枚目 若元春。横綱には初挑戦だったが、5日目に大関初挑戦で正代を破り、調子を上げていた。
この日も先手先手で攻める若元春に対し、しのぐ照ノ富士という状況だった。
2分を超える攻防の末、若元春が渾身の寄りで金星成る! と、思われたが、ここでもの言い。
直前に立行司が、若元春のまわしが緩んでいたと「まわし待った」をかけていたのだ。
「まわし待った」に反応した照ノ富士は力を抜いたが、若元春は気づかずに攻め込んだという顛末。だが、そこからが長かった。
結局、約3分に及んだ協議の末、佐渡ケ嶽審判長が下した判断は「まわし待った」がかけられた体勢からの取り直し。
この時間の巻き戻しに、また時間がかかった。おそらくはモニター室からのこと細かな指示が審判長に送られ、幾度も修正され、若元春の足の位置を立行司が変え…。ようやく勝負が再開されたが、若元春は体力・気力の限界だったのか、直後の照ノ富士の下手投げに屈することになった。
金星を逃した若元春だが、十分の手ごたえを得たようで、今後の活躍が期待される。
そして場所は中日を過ぎ、2敗で7人が並ぶという大混戦。抜け出すのはいったい誰なのか注目されるのだが、そんな中、発売中の「週刊アサヒ芸能」(7月28日号)で連載されている、元横綱・白鵬の自伝マンガ「白鵬本紀」では、2010年12月27日、白鵬の育ての親 ・熊ヶ谷親方が師匠に復帰して宮城野親方を再襲名することになった。そして迎えた2011年一月初場所。白鵬はがぜん気合が入る。
「今場所優勝すれば、父 ムンフバトがモンゴル相撲で達成した5連覇を超え、角界の親父さんである大鵬の6連覇に並ぶ」
何より「師匠に賜杯を抱いてほしい」と誓う白鵬なのであった。だが、初日から絶好調の10連勝で迎えた相手は、またしても因縁の稀勢の里で…。
勝負の行方は「週刊アサヒ芸能」で─。