毎日、暑いね~。「ゲリラ豪雨」なんて言葉が、すっかりなじんでしまって、日本が熱帯になってしまったかと思ってしまう。
でも、日本人にとって忘れられない夏の暑さがある。それは69年前の夏、広島と長崎に原爆が落とされ、戦争が終わった年だ。そんな戦争の記憶の中でも、忘れたくないのが「沖縄」なんだ。それは、過去の話じゃなく、現在につながっている話だからだよ。
【沖縄県知事選挙『辺野古めぐり保守分裂』へ】
今年11月に投開票が行われる沖縄県知事選。現職の仲井眞弘多知事が立候補の考えを明らかにした。今回の選挙の焦点となる米軍普天間飛行場の辺野古地区移設。仲井眞知事は辺野古移設を容認している。一方、那覇市の翁長雄志市長が知事選出馬に動きだし、辺野古移設反対の立場を明らかにした。両氏ともに保守系で、翁長市長は前回知事選で仲井眞知事の選対本部長を務めている。本土復帰以来初の「保守分裂」知事選となる公算が高まっている。
仲井眞さんの対抗馬が出てきて、ホッとしているのが正直なところだね。春頃、民主党が鳩山由紀夫さんに出馬を打診というニュースがあったじゃない。「最低でも県外」と言って、その最低のこともできなかった人ですからね。さすがにそれだけは勘弁してよって思っていたからさ。地元でずっと反対活動を続けてきた翁長市長が立候補するのはいい選択なんじゃないかな。
今回は、私の沖縄への思いを好きに話していいというから、まずは沖縄に初めて渡った時のことから始めようか。
あれは、72年の本土復帰の前、まだ沖縄に行くのにパスポートが必要だった頃でね。本土復帰に向けて、沖縄のラジオ局のアナウンサーに標準語の指導に行ったの。正確には指導したのは先輩で、私は遊び半分だった(笑)。だって「憧れのハワイ航路」の時代だからね。沖縄の地に降り立って、本当にビックリした! そこはアメリカなんだよ。ローラースケートで女の子がハンバーガー持ってきてくれるし、ピザさえ食べたことない頃だからさ、カルチャーショックを受けた。
でもさ、それはほんの一瞬だった。実際に散策してみると、いたるところに戦争の傷痕が残っていた。それは場所や砲弾の跡だけじゃない。沖縄の地上戦を生き延びた人もそうだった。世間話をしたおじいさんの首元を見たら、大きな傷が残っていてね‥‥。何だか、自分が本当に恥ずかしくなってしまったんだよね。教科書では教わってきた沖縄の歴史だけど、「日本人として沖縄の人たちをここまで犠牲にしてきたんだな」と思えてしかたなかった。
帰りがけに「また来るよ」と言ったんだけど、こっちがただ同情していると思われたのか、「『また来る』と言って、来た人はいない」と言い返されちゃった。いや、今から思えば、それが当時の沖縄の人の本土の人に対する本音だったんだと思う。以来、その時の自分の気持ちを忘れないために、日帰りでも沖縄には毎年1回は行っているんだ。
◆プロフィール みのもんた 1979年に文化放送を退社後、フリーアナとなる。以後、数々の番組で司会、キャスターを務める。1週間で最も生番組に出演する司会者のギネス記録保持者でもある。