●ゲスト:百田尚樹(ひゃくた・なおき) 小説家、放送作家。1956年生まれ、大阪府出身。「探偵! ナイトスクープ」(朝日放送)をはじめ、多数のテレビ番組の制作を担当。06年「永遠の0(ゼロ)」で作家デビューし、13年「海賊とよばれた男」で本屋大賞を受賞した。NHK経営委員を13年11月より務める。クラシック音楽にも造詣が深く、最新刊「至高の音楽 クラシック永遠の名曲」(PHP研究所)が発売中。
国家と政治について真正面から論じる作家・百田尚樹氏。戦後69年目の今夏、慰安婦問題を巡る過去報道について朝日新聞がついに虚偽性を認めた。そんな中、同じテレビマン出身の天才テリーが、百田氏の表現者としての原点から、日中韓問題の争点まで、本音を鋭く聞き出した!
テリー 百田さんはもともと「探偵! ナイトスクープ」の放送作家なんですよね。放送作家には、なろうと思ってなったんですか。
百田 いやいや、恥ずかしい話なんですが、私は大学を中退しまして、何も仕事がなかった時に、テレビのディレクターに「ブラブラしてるんだったら、放送作家でもやるか」と言われたんです。なぜそんな声がかかったかというと、当時、朝日放送で「ラブアタック!」という視聴者参加番組があったんですよ。
テリー もちろん知ってますよ。僕はあれを見て「ねるとん紅鯨団」を考えたんですから。
百田 ああ、そうですよね。あの当時、関西では「プロポーズ大作戦」「パンチDEデート」、それから「ラブアタック!」、この3本がすごく当たったんです。それがひととおり終わったあとに「紅鯨団」が出てきて、それはまさにさっきの3本の要素が全部合わさった感じですね。僕はあれを見た時に、あの時代が復活したなという感じがありました。おもしろかったです。
テリー ありがとうございます。それで百田さんは、その「ラブアタック!」に出ていたんですか。
百田 はい。当時はね、まだ男女が対等じゃなく、1人の女の子が「かぐや姫」といって高いところにいるんです。それを目指して5人の男たちがいろんなアホらしいゲームをして、1人ずつ落ちていって、最後に残ったやつが求婚できる。だからといってカップル成立とは限らない。女の子が「こいつ嫌いや」って思ったら落ちていくんです。いいと思ったら、上のくす玉が割れて、カップル成立と。
テリー 懐かしい(笑)。
百田 それが第1部で、第2部では今度は4人の男がそれぞれ女の子に向かって自己PRを30秒、そして彼女に対して歌をささげて、そこで女の子は1人を選ぶと。その男を「アタッカー」と言うてたんですが。
テリー 「恋のアタッカー」だ。
百田 そうそう。アタッカーの中にも変なのがいまして、女の子はどうでもいい、とにかく会場をどんだけ沸かすか、ブラウン管の向こうで見てる視聴者をどれだけ笑わすかと。
テリー いかにも関西ですね(笑)。
百田 そういう男は当然、落とされますけど、視聴者から、あいつをもう1回見たいというリクエストみたいなのがあってね。そういう人間ばっかり集めて、年に何回か「みじめアタッカー大会」というのをやってたんです。
テリー 見てました、見てました。
百田 その「みじめアタッカー大会」の常連やったんですよ。十何回出ました。
テリー そういうことか!
百田 そうなんです。それで大学を中退した時に、ディレクターから「おもしろいセンスしてるから、今度は裏方でやってみいひんか」って言われて、この業界に入ってきたんです。
テリー それで構成作家になって、テレビ業界の巨匠になったわけじゃないですか。そこからどうして小説家を目指したんですか。
百田 テレビの仕事って大勢で作りますよね。それも楽しいんですけど、小説というのは始めから終わりまで全部自分の仕事ですから、100%自分のアイデアだけで勝負してみたいという気持ちもどこかにあって。あと東京は作家の仕事が専門化されていますが、関西では何でもやるんですよ。私はディレクターもやりましたし、ラジオの生放送に出たり、クイズ番組やコント、漫才の台本も書く。「あらかた全部したな」という思いもあったんです。
テリー なるほど。
百田 その時にちょうど50歳になったんですね。「昔だったら人生終わってるな」と。「ちょっと遅いかもわからんが、新しい人生にチャレンジしてみようかな」という気持ちもありました。