テリー そこで最初に書いたのが「永遠の0」ですね。特攻隊を題材に選んだ理由は、何だったんですか。
百田 初めて小説を書こうと思った時に、父親が末期ガンやったんですよ。「あと半年」と言われて。父親は大正13年生まれで、戦争体験者。その1年前には、私のおじもガンで亡くなっていて、彼も戦争体験者だったんです。「あの戦争を戦った人が日本から消えていくんだな」と思った時、僕らはその体験を下の世代に伝えておく義務があるんじゃないかと思ったんです。戦場で死んだ人間は約230万人いるんですが、特攻で死んだ人間は1万人ぐらいなんです。だから全戦死者の中で、特攻で死んだ兵士は本当に少ない。ただある意味、あの悲劇を象徴している存在でもありますよね。「お前は明日死ね」と言われて死ぬわけですから。230万人の、いわゆる象徴として特攻隊を描きたいなと思ったんです。でも最初はどこの出版社に持っていっても、突き返されましたね。
テリー 今や大ベストセラーになって、私は映画を2回も見ました。とてもすばらしい出来ですよね。
百田 映画化やドラマ化のオファーはたくさんあったんですが、脚本を見て全てお断りしていました。しかし、山崎貴監督が持ってこられたシナリオを読んで、これはすごいと。これやったらお任せしますと言ったら、本当にすばらしいものができました。
テリー 映画は、合コンをするような現代の若者の姿と、昔の戦争シーンを交互にずっと見せていくわけですが、百田さんは今の若者をどう思いますか。
百田 表面的にはすごく変わった感じがします。かつての日本人は、自分の欲望をそんなに出さなかったですよね。ここはグッと我慢とか、個を抑えて周りのことを考える気持ちが強かった。しかし今は自由主義社会で個人主義と言われていますから。でも、僕は本質的には一緒だと思うんですよ。というのは、僕は95年の阪神・淡路大震災を経験しました。その時に日本人はすごいなと思いました。
テリー というのは?
百田 私の家の近くで、周りの家はみんな焼けてしまって、たまたま建物がガッチリ作ってあったコンビニが残ったんです。みんなお金も何もないんですが、そのコンビニの店長は、来た人に品物を持っていっていい、余裕ができたらお金を持ってきてくださいと。それで品物は全部なくなったんですが、あとでみんなお金を持ってきてくれて、結局は商品代の何倍にもなったというんです。すごい話ですよね。
テリー ええ。
百田 それから東日本大震災の時。知り合いの方から聞いたんですが、アメリカ軍のパイロットが救援物資を届けるため小学校の校庭に降りる時にすごく怖かったと。というのは、過去にさまざまなところで救援物資を届ける仕事をしてきて、ヘリコプターで降りた瞬間に群衆が殺到する。これが怖い。それでおそるおそる降りたら、代表が1人やって来て「ありがとうございます。今から品物を受け取ります」と言って、みんなで整然と受け取っていく。そして品物を全部降ろさないのに「ここの人数だとこれで足りますから、あとの物資は別のところに持っていってください」と。非常に驚いたと言うんですね。
テリー なぜ日本人は違うと思われますか。
百田 本質的に優しさを持っている民族だと僕は思っています。若者は好き勝手にやっているようだけど、いざとなったらきちんとした行動ができる国民性だと思います。
テリー 百田さんみたいに影響力のある方がそういうふうに言ってくださるのはうれしいですね。
百田 僕は日本にはまったく失望してないんです。ただ、豊かになりすぎたとは思います。僕は「永遠の0」と「海賊とよばれた男」という2つの作品を書いて思ったのは、戦争直後の日本はどれだけ貧しかったんやと。恐らく世界最貧国やったと思うんです。あらゆるインフラを破壊され、莫大な賠償金を背負わされ、大きなマイナスからのスタートだった。それが20年もたたないうちに東京オリンピックを開き、アメリカもイギリスもできなかった新幹線を通し、どれだけ復興したんやと思うんです。
テリー 奇跡的な回復力ですよね。
百田 最近、若い人と話した時「あなたたちは高度経済成長も、バブルも経験した。しかし僕らは、生まれてからずっとゼロ地点だ」と言われ、少し情けない思いがしました。この60~70年の間に、僕らの父親と祖父の世代がどれだけ積み重ねてきて今があるのか、ということを知ってもらいたいと思いますけどね。
テリー 確かにそうですね。
百田 豊かすぎるんです。僕らには夢も希望もないなんて言うやつがブランドバッグから携帯取り出してしゃべっとるんですからね。