芸能界には暗黙のルールがいくつかある。中でも所属事務所からの独立は禁忌の最たるモノ──。ましてや、その事務所が「大手」と言われる場合、芸能人は苦難の道を歩むことになる。
演歌界の大御所・森進一(66)がナベプロ(渡辺プロダクション)から独立したのは79年のこと。それまでに「おふくろさん」、レコード大賞を受賞した「襟裳岬」などでヒットを飛ばし、まさに絶頂期だったが‥‥。
肥留間氏が言う。
「あれだけヒット曲に恵まれていた森だが、独立後、彼にいい楽曲を書こうと言う人がいなくなった。加えて森は、スタッフのウケがよくなかったんです。これは当事者から直接聞いた話なんですが、彼のために苦労して開いた忘年会で、主役が会費どおりの5000円しか持って来なかったらしい(笑)。普通、スターなら、それなりの自腹を切ってスタッフの労をねぎらうものでしょう。支えようという人も少なくなっていった」
森同様、同じくナベプロ出身の小柳ルミ子(62)も、80年代後半は独立騒動を巡って苦境に立っている。「瀬戸の花嫁」を歌っていた正統派歌手としての実績よりも、13歳年下の大澄賢也との結婚を売りにするなど、いささか色物めいた路線に活路を開かざるをえなかったのである。
二田氏が語る。
「森進一にしても小柳ルミ子にしても、そもそも独立したら、しばらくは苦労しろというのがこの業界の慣例です。この場合はある程度はしかたがないでしょう」
同じく演歌歌手では、小林幸子(60)の独立騒動が記憶に新しい。所属事務所「幸子プロモーション」の女性社長らを解雇したのである。原因は小林の夫と社長らの確執だと言われた。恩ある事務所を裏切ったという流れがある一方、小林をかばう声もある。
在京テレビ局スタッフが言う。
「2人の人間関係がもつれただけで、幸子が不義理をしたワケではなかった。ただ、事務所側が芸能界の有力者をバックにつけたこともあって、男にのめり込んだ小林という構図ができてしまいました」
社長サイドに多くのマスコミがついたため、小林は追い詰められた。
「実際、あれで紅白も落ちたようなものです。普通、もめ事は表に出さないのですが‥‥。それでも、昨年頃から地道に露出が増えていますね」(二田氏)