今思い返しても、あの騒動はいったい何だったのかと思ってしまう。現在は大分県別府市に移住し、九州地方で6本のレギュラー番組を持つ、元オセロ・中島知子が表舞台から姿を消すきっかけとなったのが、あの「洗脳騒動」だった。
2011年4月に中島が突然、レギュラー番組を連続して欠席。所属事務所が突如、無期限休養を発表したことが始まりだった。その後、上京した母親が、自宅マンションの部屋から出てこない中島を心配して「監禁されているかもしれない」と警察に通報。これをきっかけに、同居相手の元占い師の女性・A氏の存在が一気にクローズアップされる。部屋に住みついたA氏が「高価な食事を奢らせている」「高級店で服や家具を買わせている」といった洗脳騒動が連日、メディアで報じられるようになったのである。
当時、この問題を追い続けていたスポーツ紙記者によれば、
「この騒動には伏線がありました。相方の松嶋尚美が、2007年に事務所から独立した問題です。2人の間には溝ができ、さらに家族との間に軋轢があったとする中島が、A氏に苦しい胸の内を相談。そこから2人の濃密な関係が始まったと言われています」
しかしこの騒動、一部芸能マスコミの報道が過度にプライバシーに踏み込んだものだとして、中島がスポーツ紙などを提訴した。裁判は4件とも和解が成立、つまりは中島側の勝利となったわけだが、前出のスポーツ紙記者は憤りを隠さない。
「終わったことなので不用意には言えませんが、訴訟対象の中にはさんざん報じてきた雑誌やテレビが1社も含まれていない。理由を聞くと、復帰後に本人がお世話になるかもしれないから、あえて外したと。和解はしていますが、我々現場の人間としては到底、納得できませんよ」
そんなすったもんだもあり、芸能関係者の多くが、もはや中島の芸能界復帰は無理だろう、との見方を示していた。ところが、そんな彼女が騒動が公の場に現れたのは、2013年6月4日。夏に開催予定のイベント「東京ボーイズコレクション」でファッションディレクターを務めることになり、都内で会見が行われたのだ。
会場でトランクス1枚のイケメンモデル7人に囲まれた中島は、
「このフラッシュの量は何なんですか。私の誕生日やないですよ」
そう言って苦笑いするも、久々の表舞台にご満悦の様子。
「今後は女優をメインに、もちろんバラエティーもやらせていただければ、ぜひ出たい。体調はバリバリです」
ただ、報道陣から「今回の話を、以前同居していた女性には話しましたか」との質問が飛ぶも、運営側からストップがかかり「すいません、そういうことなので」と会見は終了。その後も中島はテレビ等で報道を否定することになるのだが、本当に「洗脳」されていたかどうかはハッキリしないまま…。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。