1979年のデビュー以降、歌手、俳優、カーレーサーなど、様々なジャンルで活躍してきた近藤真彦がついに当対談に初登場! 今年、テレビ番組で共演したことで親交を深めた天才テリーとマッチ。今までのこと、これからのこと、あのことなどを縦横無尽に語り合った。
テリー 初めてですよね、こうやって対談するの。
近藤 初めてですね。何か対談みたいなもの、あんまり僕できないんですけど。
テリー 好きじゃない?
近藤 そうですね。ただ、今年の8月にテリーさんの番組(「テリー土屋のくるまの話」:TOKYO MX)に出させていただいたじゃないですか。その時のテリーさんのハッピーなイメージがすごく大きくて。今日は「ちょっと楽しい仕事だな」と思って家を出てきました。
テリー あ、そうなんだ。うれしいなぁ。そうだよね。だから、さっき、うちのスタッフに「絶対ジャニーズ事務所の話を聞いてくれ」って言われたんだけど、俺イヤだって言ったの。「せっかくマッチが来てくれるんだから、もっと楽しい話がしたい」って言って。
近藤 そうしていただけると(笑)。
テリー だから今日は、これまでマッチがどんな女性と付き合ってきたかとか、そんな話を聞いていきたいと思います。
近藤 アハハハハハ。よろしくお願いします。
テリー でね、俺知らなかったんだけど、そもそもアイドルになったのは少年野球がきっかけだったの?
近藤 そうですね。小学校の頃にサッカーと野球を掛け持ちしてまして。野球部の監督のお嬢さんがジャニーズ事務所の誰かのファンだったんですよ。それでアイドル雑誌で、ほんの1行か2行のジャニーズ事務所研修生募集の広告を見たらしくて、監督の娘さんだから僕らが野球してる写真をたくさん持っていて。その中から何人か選んで応募したみたいです。全部、事後報告だったんですけど。
テリー じゃあ、勝手に?
近藤 そうです。で、出した後に、うちのおふくろに、「そんなわけで応募してしまいましたけど」って言ったら、おふくろも「そんなの全然気にしないでください」って言ったんです。
テリー お母さんもまさか合格するとは思ってなかったんだろうね。
近藤 そうでしょうね。そしたら「写真選考合格だ」っていう連絡があって、その彼女と1週間後ぐらいに事務所に行きまして。そこから30人ぐらいの正式なオーディションにまた合格して、大雑把に言うと、そこから週に1回ぐらいの踊りのレッスンとかが始まるわけですよね。でも、僕は全然センスがないわけですよ。ダンスなんて習ったこともないし。それで挫折して、田舎に帰ってたんですよ。
テリー 田舎って?
近藤 神奈川の大和市です。そしたら、また1年後ぐらいに連絡があって、それが「3年B組金八先生」のオーディションだったんです。
テリー なるほど!
近藤 とはいっても野球少年で、気の利いた服も持ってないし、学生服のまま行ったんです。ちょっと人よりも悪っぽい学生服で。その時、TBSのスタジオにジャニーズJr.の子が20人ぐらい来てたんですね。そこに田原(俊彦)君も野村(義男)君もいて、3人が受かったんです。
ゲスト:近藤真彦(こんどう・まさひこ)1964年、神奈川県生まれ。1979年、「3年B組金八先生」(TBS系)でデビュー。1980年に「スニーカーぶる~す」で歌手デビューして以降は、「ギンギラギンにさりげなく」「愚か者」「ミッドナイト・シャッフル」など数々の作品をヒットさせた。また、1984年からはカーレーサーとしても活動し、2000年にレーシングチーム「KONDO RACING」結成。2023年「日本レースプロモーション(JRP)」の会長に最年少で就任した。2024年1月6日、「Zepp Fukuoka」を皮切りに「MasahikoとYoshio Live Tour2024」スタート。3月23日、31日には日比谷野外音楽堂で「MasahikoとYoshio 野音Live 2024」が開催される。現在、「Masahiko Kondo KANREKI DASH『M5K9』LIVE TOUR 2023-2024」を全国で開催中。還暦バースデーコンサート「日本武道館Thank you veryマッチ-60th Anniversary 2024.7.19」開催決定。