〈今回の所信表明演説は、石破内閣のお手上げ敗北宣言。(中略)一番無いのが人口減少への危機感。毎年一つひとつ県が消失していく勢い。官僚の作文はそれを加速させる。政権交代は不可避〉
石破茂首相の所信表明演説を受けて、翌11月30日に自身のXで激しい批判を展開したのは、立憲民主党の小沢一郎氏だった。これまで政権交代を2度も実現させた立役者として知られる一方、「政界の壊し屋」の異名を持つ重鎮だ。「常習犯的饒舌失言」の麻生太郎氏に対し、小沢氏のそれは「確信犯的短絡失言」だといわれる。
そんな小沢氏の失言であまりにも有名なセリフが、1994年4月の「どの女と寝ようがいいじゃないか」ではないだろうか。今なら即アウトとなるこの言葉、むろん30年前でも不謹慎極まるものとして、大問題になった。
当時、細川護熙首相の辞任表明に伴い、連立与党内で後継首選びが勃発。日本新党が新党さきがけとの統一会派を解消し、新会派「改革」を結成した。この「改革」に、なんと公明党と小沢氏率いる新生党が参加し、それまで連立を組んでいた「社会党外し」を画策する。
当然のごとく、社会党や民社党の一部、新党さきがけが猛反発。反新生・反自民党との連立を視野に動き出す、波乱の展開に。
とはいえ、そこは所詮、連立与党内での主導権争い。バタついたものの、最終的には羽田孜氏が次期首相に指名され、社会党が連立政権から離脱を検討し始める中、都内のホテルで各党代表者が集まっての協議が行われた。
そして国会内に戻った小沢氏に詰め寄った記者たちが、社会党の反発について質問する。すると小沢氏は、こう言い放ったのである。
「どの女と一緒に寝ようがいいじゃないか。君ら(記者)が社会党を相手にしているのが悪い。理屈の通らないことを言ってもしょうがない。そんなに焼きもちを焼くなら、(社会党も)こっちへ来ればいいじゃないか。社会党は理由なき反抗だ」
小沢氏の言いたい放題に社会党が大激怒し、その日の深夜、政権離脱を決断。このドタバタ劇により、細川首相の辞任表明から羽田内閣の発足は大幅に遅れたことで、国民からも怒りを買う結果になったのである。
(山川敦司)