遺された家族や家臣たちのため、制度を定め、遺言を遺し、見事に「終活」した武将は誰か?
「やはり徳川家康です」と河合氏は断言する。
「家康は徳川幕府を開いて、間もなく将軍職を秀忠に譲っています。とはいえ権力を手放さずに、駿府から大御所政治を行って、秀忠を遠隔操作しています。大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼしたあと、わずか1年の間に大名の居城を一つに限る『一国一城令』、大名が守るべきことを規定した『武家諸法度』を定め、さらに『禁中並公家諸法度』を定めて天皇や公家の行動にも制限を加え、朝廷や寺社なども幕府の統制下に置くような制度を制定していきます。徳川幕府に逆らう勢力を徹底的に抑える法律を作った上で死んでいったので、ほぼ完璧な終活を行っているのです」
秀忠を後方からサポートして将軍としての修業を積ませた家康とは逆に、
「豊臣秀吉は終活には大失敗しています。息子が夭折したから、姉の息子である秀次を跡継ぎに決めておきながら、側室の淀殿に子(秀頼)ができたら、謀反の罪を秀次に着せてその妻子まで全員を殺しています」
さて、終活には、遺言が不可欠である。
「北条氏綱は、有名な『勝って兜の緒を締めよ』の他に、見事な五カ条の遺言を嫡男の北条氏康に遺しています。氏綱は北条早雲の息子ですが、実際に北条を名乗ったのは氏綱からで、将軍や朝廷、関東管領との繋がりを作り小田原北条氏の五代、100年の礎を築いたのも氏綱の功績です。中国地方の覇者・毛利元就も数々の遺言を残しています。3本の矢は折れにくいと、3人の兄弟が力を合わせて毛利家を守れと説いた『三矢の訓』が有名ですが、これは実は後世の創作です。しかしこれとは別に75歳で亡くなる直前には『家臣には公平に加増しろ』とか、『先祖代々の仕置き(政治・法律)を自分の勝手で変えてはならない』『家老は主君の驕りを諫め、家臣や民が困窮しないように』など、現代の政治にも通用するような遺言を遺しています」
河合敦著『戦国武将臨終図巻』(徳間書店刊)。本誌好評連載中の『真説!日本史傑物伝』特別編、待望の書籍化。従来の通説を覆す最新の研究成果と発見が自在に展開される「真説」『戦国武将臨終図巻』である。