さて、名古屋といえば「名古屋めし」。ところがこれらの名物も、実はパクリだらけと、矢野氏は言うのだ。
「味噌カツ、トンテキ、ひつまぶし、手羽先、天むす‥‥ひつまぶしは大阪由来だし、味噌カツとトンテキも三重県が発祥地。喫茶店のモーニングだって、一宮市や豊橋市が発祥とされています。それは名古屋人も知っていますが、『みんな知らないから広めてあげた』という意識がある。ここにも名古屋独特の気質が見え隠れします」
食べ物にはやたら餡子を入れる習慣もあるが、
「その代表が小倉トースト、あんかけスパゲティで、ランチタイムにはこれを食べるためにビジネスマンの列ができるほど。名古屋人は和のテイストが大好きで、西洋の食文化が入ってきても独自の和テイストを付け加えてカスタマイズする。甘いものに目がないんですが、おいしい、おいしくないを超越した、ある種の辛抱強さを試される側面さえあります(笑)」(矢野氏)
さらに、強すぎる地元愛ゆえ、なかなか名古屋から出て行こうとしない。
「信じられないことですが、他県に出ず一生を名古屋で過ごす人は多い。そのため人口流動性が極端に少なく、閉鎖的になる。その証拠に『よそ者という言葉はまだこの地域で生きていますか?』という質問に、愛知県人の47.5%が『はい』と答えています。これは全国4位の数字。名古屋人が排他的になったのは江戸時代からとされますが、よそに行く必要がないうえ、よそ者も入ってこないため、人づきあいも苦手になったと考えられます」(矢野氏)
また、名古屋には「風俗激戦区」の一面もあるが、
「愛知県はファッションヘルスが全国で最も多く、2位の東京の1.5倍。その大半が名古屋に集中している。愛知県の風営法が他県より遅れて施行されたこともありますが、名古屋男性は『男が上に立つもの』という恋愛観が強く、古風で頑固。名古屋に恋愛映画を持ってきてもウケない、という定説があるほど恋愛下手で、恋愛そのものに興味がない男性も多い。工業都市という背景もあり、人づきあいが苦手なので、プロのほうが楽と考えているのかもしれません」(矢野氏)
このような「名古屋人気質」の源流は、本を正せば尾張藩の存在にあった。
1610年、徳川家康が名古屋城を築城。御三家の尾張藩を立て、家康は九男の義直を清州城から名古屋城に移した。ただ、義直の晩年には財政難になり、その後、財政改革が行われるが、七代目藩主の宗春は将軍・吉宗の質素倹約令に対抗。豪快な政策を進めたことで吉宗の逆鱗に触れ、蟄居させられてしまう。