「首刎(は)ねらるる期(とき)までも命を惜しむは、本意を達せんがため」(石田三成)
秀吉に重用され豊臣家臣団一の実力者だった石田三成が、関ヶ原の戦いで敗北し捕虜となった時、なぜ自害せずに捕虜となったのか、と罵倒されて答えたのがこの言葉だ。みずから死を求めるのは意味がない、本意を遂げるまで命を長らえて戦い続けることを説いている。ここで「首刎ねらるる」というのは、現代の馘首(かくしゅ)(クビ)ということではないが、早期退職勧奨などがあった時、みずから進んで身を引くのは敵の思うつぼ。格好悪くても、会社にしがみつき、自分のやるべき仕事を全うするべきじゃないだろうか。そんな戦い方もあると気づかせてくれる名言である。
「死なむと戦へば生き、生きむと戦へば必ず死するものなり」(上杉謙信)
越後の龍と呼ばれ、好敵手・甲斐の武田信玄とは5回に及ぶ川中島の戦いを繰り広げた上杉謙信の言葉。みずからを毘沙門天の化身と信じ、領土的野心からではなく、義と人情を大切にしていたことと無縁ではないような名言だ。謙信は、儒教の教えにある「仁・義・礼・智・信」を大切にしていたというが、東北を支配した伊達政宗は、次のような言葉を遺している。
「仁に過ぎれば弱くなる。義に過ぎれば固くなる。礼に過ぎればへつらいとなる。智に過ぎれば嘘をつく。信に過ぎれば損をする」(伊達政宗)
仁(人や身内に対する愛)、義(正しい道、正義)、礼(礼儀、礼節)、智(善悪を判断する知恵)、信(嘘のない言行による信用)というのは、中国古代の孔子、孟子に始まる儒教における5つの徳目「五常」のことだが、偏らず中庸をよしとする儒教の教えすらも、政宗はほどほどにと言っているようだ。
定年を控える年齢になれば、仕事人間として、そして一人の人間として、自分の人生とは何なのかなどと考えてしまう。
戦国時代に終止符を打って天下統一を果たして以後270年余り続く徳川幕府を開府した徳川家康の言葉に、その答えはあるかもしれない。
「人の一生は、重き荷を負うて遠き道をゆくがごとし。急ぐべからず。不自由を常とおもへば、不足なし」(徳川家康)
人生はまるで苦労の連続のようなものだし、不便・不自由なことも、それが日常だと思えば不平を言うこともないだろう。
「人間五十年、夢まぼろしのごとくなり」と歌った信長の時代から、現代は60歳の定年から平均寿命の90歳近くまで、約30年もの「長い老後」がある時代になってきた。セカンドライフをどう生きるか、いかに死ぬのか、武将たちの言葉に大いなるヒント、励ましがある。
最後に、秀吉のあまりに有名な辞世の句をかみしめてみよう。
「露と落ち 露と消えにしわが身かな 浪花のことは 夢のまた夢」(豊臣秀吉)
栄華を極めても、そうでなくても、人生は夢、幻と思えば、何があっても心病む必要はない。
本文に引用した武将たちの名言は、「日めくり勝暦 戦国武将名言録」「日めくり勝暦 ビジネスに効く名将の言葉」(発行:能登印刷出版部、発売:梧桐書院)を中心に、その他の名言集などから編集部にて抜粋した。