「♪とんで、とんで、とんで‥‥」──「夢想花」の大ヒットで一躍メジャーになった歌手の円広志(61)。今も数多くのアーチストに楽曲を提供し、バラエティ番組にレギュラー出演しているが、そんな円がこのほど「パニック障害、僕はこうして脱出した」(詩想社)を出版した。一時は「死んだ方が楽やろな」とさえ思ったことがあるという円は闘病の末、危機を脱出した。いったい、どうやって乗り越えたのか──。
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死にたいと思ったことはない。でも、死んだ方が楽やろなと思ったことはありますよ。たぶん、俺は50までは生きられん。ずっとそう思っていました。それほど、つらいんです。このパニック障害という病気は。
バラエティ番組でずっと座っているだけでふらつき、目の前がグルグル回る。いたたまれない気持ちを前後左右に体を揺さぶって、我慢していると汗びっしょりなんです。
こんなこともあった。エレベーターに乗ろうと思ったら、エレベーターの箱が落ちそうな気がするんですよ。かと思えば、トイレで用を足して水を流すと、その渦に吸い込まれそうな気がする。もう、あかん。
テレビ局の駐車場でマネージャーに、「もう俺を許してくれ、責めないでくれ」と号泣して番組を全部降板したのは、今から15年前のことでした。
異常を感じたのは吹田にある自宅に帰ろうとハンドルを握っている時でした。晩の8時くらいでしたかねえ。新御堂は大渋滞。ところが、ブレーキを踏んでいるのに、景色が勝手に動きだすんですよ。どうしたんやろう。怖くなって、車を置いて逃げ出したくなりましたが、我慢してようやく家に着いた。当時は所属事務所から独立して「オフィスとんで」を起こして5年。頑張らなくてはならないと、気負っていた。
ホントなら、仕事をセーブするべきだったんでしょうが、芸能人がこんなことでどうすると、僕はトップギアで飛ばし続けた。もともと鉄人と言われるくらいの体力、精神力の持ち主で徹夜なんて平気。酒を飲み、仮眠だけとって仕事に出かける日々でした。
不吉な症状は本番中も現れました。テレビ局の高い天井を仰ぎ見ると、ぐるぐる回り、倒れそうになることが何度もあった。「本番5秒前!」の声で心臓がバクバク鳴り、「スタート」で逃げ出しそうになりました。
しかし、仕事は失いたくない。だから夕方になると、酒で不安を紛らわした。アルコールを入れると、すっと楽になった。
とはいえ、酒ではその場しのぎにはなっても、根本的な解決にはならず、ついに全番組降板となるわけですが、不安の原因を特定するのがもう大変でした。
入野医院という医療機関の「めまい科」でパニック障害であることがやっとわかりました。荻野先生(現・荻野耳鼻咽喉科院長)という医師からとりあえず、朝昼晩飲む薬とあわせて、発作が起きた時の頓服をいただいた。原因がわかってホッとしました。
といっても、これですぐに治ったわけではなく、七転八倒の生活は続きました。頓服を服用しているのに酒を飲んだため、ものすごく苦しんだこともある。中には安定剤と酒を併用して失禁した人もいるそうです。
話は前後しますが、「クイズ! 紳助くん」(朝日放送)でずっといっしょだった島田紳助さんの自宅に降板の挨拶に行った。「まあ、どうぞ」とリビングへ通されたが、発作が起こった時逃れられない気がして座れない。立ったまま、「番組を下ろさせてくれないか」と言うと、「番組の席は空けておくから」と復帰を約束してくれました。
帰りに彼からメールが来て、〈確かに今の君はおかしいよ。でも、その症状は必ず治るから大したことないよ〉と気遣ってくれた。紳助さんのこの一言がどれくらい心強かったか。
「この病気で死ぬことはありません」という医師の一言もうれしかった。倒れそうで倒れない。死にそうで死なない。それがパニック障害だというんですね。
テレビ番組は降板しましたが、ライブだけはこなしました。調子が悪いのに、「とんで、とんで」を熱唱し、アンコールをやると、すっかりパニック障害のことは忘れていました。
降板した当初は濡れ落葉みたいに妻にひっついていましたが、少し勇気を出して遠出をしてみました。今思えば、そんなふうに、できることを少しずつ増やしていったのがよかった気がする。僕は生まれ故郷が高知なんですけど、転地保養なんて、まったく無駄でした。いつもどおり、同じ生活をしてできることを増やしていくというのが正解じゃないでしょうか。
この社会のリズムは速すぎる。順応できずダウンする人も少なくないが、少し「スピードダウン」して生きることも必要だと思う。
今では僕も普通に仕事ができるようになりました。自分がいなくても、会社は動いていくもんです。
薬の服用は1日1回。仕事の少ない日、休みの日は飲まなくても大丈夫になった。芸能界に限らず、サラリーマンの世界でもパニック障害をひた隠しにし、一人で悶々としている人が少なくないですが、パニック障害は特別な精神疾患ではありません。コンプレックスを感じる必要などまったくないのです。