暖かい春の訪れが美女たちのガードを緩くさせている。より大胆に乱れる展開を見せ始めているのだ。その一方で、避けては通れない卒業の季節でもある。トップアイドルグループのエースが下した決断の裏には、過酷なドラマがあったのだ。
「プレッシャーで何度も過呼吸で倒れた」
3月25日、さいたまスーパーアリーナで行われた、「AKB 48コンサート」の最後にサプライズが待っていた。不動のセンターポジション、「あっちゃん」こと前田敦子(20)がマイクを握ると、涙をこぼしながらこう口を開いたのだ。
「私、前田敦子は、AKB48を卒業します」
この日に発表することは、メンバーや所属事務所にも知らされていなかったという決意表明だっただけに、大きな衝撃を呼んだ。
同時に、6月6日に日本武道館で「第4回AKB48総選挙」が開催されることも発表されたが、前田が出馬するかは未定だという。
もちろん、卒業の詳細もまだ未定のため、その時点ですでに前田がAKB48から巣立っている可能性もあるが、卒業前だとしても前田は不出馬となりそうだ。
「たくさんいる後輩のためにも、私が卒業して歩き出さなければならない」
と話した前田だが、それだけが卒業理由とは考えづらいからである。
過去3回の総選挙を振り返ろう。09年の第1回では、2位を発表する段で、客席から「前田、前田」のコールが響いたが、与えられたポジションを死守し、前田がみごとにトップ当選。
「自分の人生をAKB48に捧げていく」との名言も飛び出した。
翌10年の第2回では、大島優子(23)に破れ、2位が前田とわかるや、歓声までが聞こえてきた。多くのファンに支持されてトップを張る一方で、アンチファンもいたことは悔しかったはずだ。
昨年の第3回ではトップに返り咲いたが、涙ながらにこう語ったのである。
「私のことが嫌いな方もAKBのことは嫌いにならないでください」
「今年の総選挙で、関係者の前評判は『1位大島』が圧倒的で、前田は2~4位と予想する声が多い。前田が『総選挙恐怖症』に陥っていたとしても不思議ではない」(芸能記者)
アイドル評論家の堀越日出夫氏もこう語る。
「巨大になりすぎたグループで、センターを務め続けた重圧は凄まじかったと思う。40~50年前の巨人で4番を張るのと同様と考えればわかりやすいでしょう。総選挙で負けても、1日だけ4番を交代するようなもの。自分が打たなければ、チームは負けるんです。わずか14歳から並大抵ではないプレッシャーに耐えてきた。精神的、肉体的に限界を迎えたのでしょう」
前田にのしかかってきた重圧。それを象徴するような映像が、今年1月に公開された映画「DOCUMENTARY of AKB 48Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る」だ。
昨年7月23日に行われた西武ドームの公演中、前田は過呼吸で倒れ、楽屋に運ばれた ところがアンコールの途中、ステージに舞い戻るプロ根性を見せたのである。
「人間が過呼吸になるのを克明に記録した映像でした。AKBのセンターを張るというのは、そういうことなのかとイヤになるほどわかる。映画館を訪れていたファンの子供たちが、上映後に立ち上がれなくなっていました」(堀越氏)
前田は3月11日にも、東日本大震災復興支援特別公演で黙祷を捧げたあとに、やはり過呼吸でバックステージに運ばれている。
卒業を電撃的に発表した挨拶でも前田は、「私は昔から、感情の起伏が激しくて、メンバーにもたくさん迷惑をかけてしまいました」と吐露していたが、過呼吸で倒れるほどの不測の事態は何度もあったのだ。
06年に4人組ユニットで歌った「渚のCHERRY」では、センターを言い渡されて「目立ちたくない」と泣いたほど、アイドルらしからぬ控えめな少女だった。
そんな前田にあえて与えられ続けたセンターポジション。そのプレッシャーをはねのけるたびに輝きを増し、成長していった。
「前田はセンターじゃないと収まりがつかなかった。一方で、大島は2番でも光るんです。篠田麻里子(26)や高橋みなみ(20)にも収まるべきポジションがあった。ところが、どこか完璧ではない部分を見せている前田だからこそ、AKBという群像劇の中で主役である必要があったんです」(堀越氏)
最初は観客が7人しかいなかったAKB48を初期からエースとして牽引してきた。ついには昨年、「フライングゲット」でレコード大賞を受賞。頂点を極めた少女は、プレッシャーから解放されて次のステージへと進む。