「旅番組のレポーターでお婆ちゃんたちにインタビュー。その中の一人に『ただ生きてたってしょうがないよ。人の役に立つ生き方をしなきゃいかん。それが長生きの秘訣だ』と言われたんです。自分を見透かされているようで、その時は堪えました」
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殺された回数は実に1200回以上を数える。「悪役商会」の八名信夫は御年81歳。昨年には、初監督した映画が公開されるなど意気軒昂。全国の上映会にも足を運ぶというバイタリティはどこから湧き出るのか。本人を直撃すると、思わぬ答えが返ってきた。
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昨秋完成した映画「おやじの釜めしと編みかけのセーター」で、生まれて初めてメガホンを取りました。劇場公開ではなく、申し込みをいただいたホールや公民館などでの無料上映会という形式で観てもらっています。すでに全国9カ所を回らせてもらい、この6月も4カ所での上映が決まっています。自分の撮った映画が、少しずつ広がっていく手応えを感じるのはうれしいことですね。
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悪役俳優のグループ「悪役商会」の主宰者として知られる八名信夫は、1935年、岡山市生まれ。プロ野球の投手として活躍後、俳優に転身し、高倉健の「網走番外地」や菅原文太の「仁義なき戦い」に何度も出演した名脇役である。そんな八名だが、初めて経験する監督業は想像以上に大変だったという。
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この作品では、監督と役者の二足のワラジでした。当たり前と言えば当たり前なのですが、俳優と監督というのはまったく違う仕事なんです。監督として演者たちの演技を見続けたあとに、自分の出番になる。撮ったあとにモニターを見てみると、自分の顔が、役の顔ではなく“監督の顔”になっているんですよ。しかたがないので「少し待ってくれな」と言って、5分くらい置いてから撮り直すということもしばしばでした。
天候も気になりましたね。クライマックスのシーンは雪が絶対条件だったのですが、撮影予定日を測ったように、晴天で日が照ってきた。この時は焦りました。撮影スケジュールが1日延びると、数十万円単位で出費がかさむんですよ(笑)。東映や東宝といった大きな会社なら、金のことなどそれほど気にならないのだろうけど、こっちは違いますからね。映画の世界で60年近く生きてきましたが、予定どおりに撮影を済ませるということがどれほど大事かというのを初めて知りました。
もう一つ、こんなことは俳優として経験したことがなかったのですが、上映会では映画を観ずに、観客の顔ばかり見ています。どういう反応をしてくれているか。そういうのがすごく気になりますね。
うれしいことに、映画が終わってもお客さんがなかなか席を立たずに、しばらく座ったままなんです。最初は「どうしたんだろう?」と不思議だったのですが、よく見ると皆さん、特に男性が泣いているんです。それを見た時、長く俳優として生きた恩返しが少しはできたかなと思いました。
八名信夫:1935年、岡山市生まれ。明治大野球部から東映フライヤーズに入団。現役を引退後、東映に入社。悪役中心の役者として脚光を浴びる。83年に俳優仲間と「悪役商会」を結成。現在に至る。