テレビドラマにおけるハイライトの一つに、主要キャストが迎える「劇的な死」がある。不治の病や正義の殉職、さらには主を追った衝撃死など‥‥。その瞬間、テレビの前の視聴者は、それが物語であると知りながらも大きく心を揺さぶられた。昭和から平成まで、そんな「烈しい名場面」を厳選して届けよう。
新人刑事たちの成長と、非業の最期を描いた「太陽にほえろ!」(72~86年、日本テレビ系)は、国民的な人気ドラマだった。とりわけ、勝野洋(68)が演じたテキサスの「殉職」は記録を打ち立てた。
── 初代が萩原健一のマカロニ、2代目が松田優作のジーパン、そして3代目のテキサスとして登場することになりましたが。
勝野 そもそも俳優になろうなんて、まったく思っていなかった。熊本から上京して、大学に行きながら劇団に入ったら、チョイ役で優作さんの頃の「太陽──」に出ることになって。
── 一度、テスト出演させるというのは伝統ですね。
勝野 熊本弁も直らず、セリフなんて言えないって断ったんですよ。そしたら、先輩刑事と間違われ、撃たれて死ぬ役。石原裕次郎さんに会えるのも記念になるなあと思って、OKして。
── 正式デビューの前に、すでに「殉職」していたんですね。
勝野 僕が死んでいるところを裕次郎さんが上からのぞいている。いい記念になったなと思ったら、しばらくして「3代目に決まったぞ」と。すぐに断りましたが、裕次郎さんに挨拶に行くことになって、もう断れる感じではなかったですね。
── そういう“包囲網”があったんですね。さて、長髪だった2人の先輩と一変して、角刈りにテンガロンハットという独自のスタイルでした。
勝野 いや、どういう衣装とか考える余裕もないですよ。慣れない芝居で、オレのところで撮影が止まることばかりでしたから。
── それでも、シリーズの人気は前2作を上回り、本来は1年で殉職のはずが、助命嘆願が殺到して1年延期になったほど。
勝野 ゴリさん役の竜雷太さんに「絶対にカン違いするなよ。周りがあっという間に変わるから」と何度も言われましたね。大丈夫ですと言っても、ゴリさんは「いや、天狗になる」の一点張りだったけど(笑)。
── そして76年9月3日、「テキサスは死なず!」のタイトルながら、ついに最期の瞬間を迎えます。歴代の殉職シーンは、役者自身の意見を尊重するのが恒例になっていましたが。
勝野 僕も監督に「どうしたい?」って聞かれて、それこそ瞬殺‥‥あっさり死なせてくださいとお願いしたんです。監督は「うんうん、なるほどね」と言いながら、実際はなかなか死なせてもらえなかった。引っ張りましたね(笑)。
── 視聴率は番組史上最高の42.5%を記録。敵陣の銃撃でハチの巣状態になりながら、それでも七曲署の面々が到着するまで仁王立ちになってふんばった名シーンです。
勝野 ボスやヤマさんなどひとりひとりの名前を呼んで息絶える‥‥。あのシナリオは、番組プロデューサーのテキサスに対する愛情でしたね。
── その後もボンやロッキーなど多くの新人刑事が入り、そして去っていった。
勝野 実は、裕次郎さんは「テキサスが死んだら『太陽にほえろ!』も終わりかな」とおっしゃっていたそうで。それがどういう意味かはわかりませんが、もちろん、そんなことはなく、番組は続いた。
── あらためて自身の殉職シーンを振り返ると?
勝野 これで終わってしまう寂しさもあったけど、一番は2年間やり抜いたという感動でしたね。