最高視聴率42.5%という金字塔を打ち立てたのが「太陽にほえろ!」(72~86年、日本テレビ系)だ。個性豊かな新人たちの教育係であったのが「ゴリさん」こと石塚刑事を演じた竜雷太(78)である。
── 番組の開始から10年もレギュラーを務め、主演の回数も92話というのは最多記録のようですね。
竜 石塚は正義感が強くて、涙もろくてという人物像だから、話が広がりやすかったんでしょうね。世代的にも露口茂さんや下川辰平さんらベテランと若手の間だから、どちらのほうにも近い話が作れたし。
── さて、番組開始は72年。石原裕次郎が初めてテレビドラマに主演するのも大きな話題でした。
竜 僕は新人の時、日本テレビの岡田晋吉(ひろきち)プロデューサーに「これが青春だ」(66~67年)や「でっかい青春」(67~68年)で売り出してもらってて。このドラマが始まる時も、ありがたいことに岡田さんの頭の中に僕が入っていたそうです。
── タイトルバックで新人の激走シーンは有名ですが、それはベテランも同じでしたか?
竜 走った、走った、犯人を追いかけてね。下川さんは私より一回り上だけど、あの人はラグビーやってたから、すごく速い。新人たちは吐きながら走らされていましたね。
── 役柄のゴリさんは若手の教育係という立場ですが、実際に新人俳優たちにも指導されましたか。
竜 いや、マカロニ(萩原健一)もジーパン(松田優作)も、独特の風味というか、立派に性格づけされていたので、私が何も言うことはなかった。ただ、テキサスの勝野洋が入って来た時は、彼は本当に未経験だったので、そこはあれこれ教えましたよ。あと、ラガーの渡辺徹にも厳しく接したから恨まれたけど、あいつにはよく言うんです。うるさかった俺が殉職したから、お前はそんなに太ったんだろって(笑)。
── 番組の名物であった「殉職」ですが、ゴリさんも10年で最期の日を迎えます。
竜 実は開始から6年がたった頃、若手も育ってきて、自分が「太陽──」の力になっているんだろうかと自問自答して。プロデューサーに「このあたりで殺してもらおうか」と言ったら、「いや、10年はやろう」と慰留されまして。そこからは「太陽──」以外の仕事を一切入れず、晴れて10年を迎えて「さあ、殺してください」と。
── 功労者ゆえに、番組初の90分スペシャルとなり、ボスが臨終に立ち会ったのも唯一のことでした。
竜 それは光栄なことでした。岡田さんに「ごほうびだ」と言われました。それまで裕次郎さんや石原プロには、ハワイ旅行や宴会など、いろいろお誘いも受けていたんです。ただ、気が引けた感じで参加しなかった。今になるととても残念で、裕次郎さんにもう少し甘えておけばよかったかなと思います。
── 国民的な人気ドラマに参加していかがだったでしょうか。
竜 それまで警察や刑事は「税金ドロボー」みたいな言われ方をして、肩身が狭い思いをされた方も多かった。それが「太陽──」のおかげで払拭されたと、いろんな刑事さんに感謝されました。
── 圧倒的な影響力です。
竜 ある爆破事件に巻き込まれて失明された元刑事の方がいて、その人が「七曲署の連中はどうしているんだ?」と言ったらしく、奥さんから手紙が来ました。全員でメッセージをテープに録音して、送りましたよ。
── さすが七曲署です。