紳助親分がテレビ界から姿を消してから、3カ月余りがたとうとしている。その間、怒濤のごとく「裏の顔」が報道され、親分は裁判を起こすという実力行使に打って出た。はたして親分はなぜ、こうした転落人生を歩むことになったのか。かつて漫才ブームをともに過ごした名物ディレクターが、「人間・島田紳助」の明と暗を大いに語った。
今回の引退騒動が起きた時、「あぁ、(やっぱり)ヤクザとつきあっていたんだ‥‥」と思いました。何しろ昔の吉本興業の芸人は、ヤクザ主催のイベントなどに平気で出ていましたから。「昨日、××親分の町内の盆踊り大会に余興で出た」なんて、「ひょうきん族」の楽屋などで話していましたから。そういうことが、ごく当たり前にあったんです。だから今回の一件も、しょうがないなという感じですよ。
80年にスタートした「THE MANZAI」、そして、その翌年から放送された「オレたちひょうきん族」。2つの巨大ヒット番組を、フジテレビのディレクターとして手がけたのが佐藤義和氏だ(現フリープロデューサー)。空前の漫才ブームに乗った島田紳助(55)もまた、この番組で全国区の知名度を獲得し、のし上がっていった。佐藤氏が知る紳助とは、いったいどういう男だったのか。そして、芸能界引退を余儀なくされた不祥事が生まれる背景には何があったのか。
でも(引退が)右翼とのトラブルが原因だったと聞いた時、何で紳助が動いたんだろう、と不思議に思いました。そもそもテレビ番組での(右翼を茶化すような)発言がもとだということですから、元来はテレビ局が事態の収拾に動かないといけない。それを知らんぷりして、紳助にケツを拭かせたのはいけませんよ。テレビ局の怠慢であり、ある意味、紳助は気の毒だったとも言える。ところが、そのあとから不動産売買にまつわる話なんかが出てくると、「あ、これはちょっと(同情すべきこととは)違うな」とも思いましたが。
紳助で思い出すことといえば‥‥「THE MANZAI」が80年4月に始まりましたが、その数カ月前に大阪で打ち合わせをしたのが初めての顔合わせだったわけです。当時はまだ吉本が東京進出をしていない頃。だから、大阪の漫才師が東京の番組に出るというのはけっこうな騒ぎでした。しかも、その番組の担当者(佐藤氏)が大阪まで来て打ち合わせをするわけですから。
紳助は打ち合わせの席に大学ノートを持って来た。テーブルに置き、開くとそこにはバーッとネタが書いてあったんです。ずいぶん緊張してかしこまっていました。それからのつきあいですね。
六本木のディスコにもよく行きましたね。そのあとの「THE MANZAI」の打ち合わせも、東京ではディスコのVIPルームでやっていましたから。キレイな女のコのいるようなところで紳助をリラックスさせるためです。何しろ大阪の芸人が東京進出するというのは、物凄いプレッシャーがかかるわけですから。
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