今年9月、舞台「贋作 桜の森の満開の下」で、天海祐希(50)は23年ぶりの男役を演じる。だが、希代の元タカラジェンヌは、大の「宝塚ファン嫌い」として有名だったというのだ。
85年、73期生の首席で宝塚音楽学校に入学した天海は、2年後に宝塚歌劇団に進むや、史上最速ペースで駆け上がり、93年に「月組」のトップスターとなった。スポーツ紙芸能デスクが話す。
「歴史ある宝塚歌劇団にあって『10年に1人の逸材』と言われ、その人気ぶりから大地真央を上回る男役とまで称されました。当然、熱狂的なファンが現れて、自宅前にプレゼントが置かれることもあり、たびたび転居する苦労もあった」
現在も狂信的人気は衰えず、舞台出演中の楽屋にファンが侵入したことも。
「20代の女性で、天海の私物をSNSに載せて発覚した。天海の舞台出演を知り、その劇場の清掃員のアルバイトに応募。正規スタッフとして潜り込み、犯行に及んでいたんです」(社会部記者)
女性ファンの多さは宝塚時代からで、舞台の隠し撮りがあとを絶たなかったという。
「カメラやビデオカメラなどでこっそりと撮影したり録画することが横行していたんです。当時は劇場の係員が取り締まっていたし、舞台サイドから通報が入ることもあったんですが、中でも天海は誰よりも早く客席のフラッシュなどに気づいて、『S席の○番、カメラで撮影している』と、楽屋のスタッフに伝え、係員を駆けつけさせて注意することも多かった」(宝塚歌劇団スタッフ)
天海は一部の心ないファンに対して厳しく対応するばかりか、宝塚名物の入り待ちや出待ちのファンに対してもそっけない塩対応で有名だった。
「天海は退団後、ファンからの手紙に返事をしない理由について、『不公平がいちばん嫌いだから』と説明していましたが、宝塚時代には『出待ち禁止令』まで発令されていたんです。さすがにスタッフたちも首をかしげ、『やっぱり噂は本当だったのか』と思ってしまった」(スポーツ紙芸能担当記者)
もっとも天海は、宝塚入り自体、熱望していたものではなかったといい、
「もともとモデルプロに属し、女優を目指していた。それでも宝塚サイドが『必ずキミをトップスターにする』とスカウトして、宝塚音楽学校の試験を受験してもらったんです。いわば出来レースの入団だったことは、関係者の間で有名な話です」(当時の宝塚歌劇団関係者)
毎年、話題を集める宝塚の入学風景。涙を流しながら宝塚愛を熱弁、アピールするものだが‥‥。
「確かに、天海が女優を目指したのは、映画『ウエスト・サイド物語』を小さい頃に見て、演じることに興味を持ったことが始まりだった。退団後、舞台より映像にこだわり続けたことについては、『細やかなしぐさを考えることが楽しい』と言い続け、『3階席からじゃ、眉毛をピクッと動かしてもわからないでしょう』という説明をしていた。宝塚を選んだ理由は女優としての土台作りであって、連日にわたって演じる舞台よりも、一瞬の輝きで勝負する銀幕女優への憧れが強かったようですね」(芸能担当記者)
久しぶりの男役を演じながら、天海は何を回想するのだろうか‥‥。