平成が始まってすぐに、空前のCDバブル期が訪れた。100万枚のヒット曲が乱発し、多くの「歌姫」が生まれ、宙に舞い、そして去っていった‥‥。
今年の9月でサービスを終了する「ポケベル」をフィーチャーしたドラマ主題歌がある。国武万里(51)が切々と歌った「ポケベルが鳴らなくて」(93年)がそれだ。50万枚を売り上げ、同年の日本レコード大賞新人賞にも選ばれた。
ただし、この曲のインパクトが強かったためかヒットは続かず、一発屋に終わった。
そしてヒットから7年後に突然、ヘアヌード写真集を発売。肉感的な肢体で一時的な話題にはなったものの起死回生には至らず、再びフェードアウトした。
ボーイッシュな魅力が受けて、ピーク時には2年連続で横浜スタジアムを満員にしたのが永井真理子(52)だ。アニメの主題歌にもなった代表作「ZUTTO」(90年)では、翌年の紅白歌合戦にも初出場を決めている。
ただ、絶頂期こそ低迷への扉が待ち受けている。2度目の横浜スタジアム公演で、バンドのギタリストと婚約したことを発表。横浜スタジアムでの公演は女性アーティスト初の快挙だったが、結婚と同時に人気がみるみる急降下。一時は歌手を引退して家族でシドニーに移住したが、17年から活動を再開させている。
永井と同じくアニメ主題歌でブレイクしたのが上原あずみ(35)。長寿アニメの「名探偵コナン」(日テレ系)に楽曲が使われ、01年と02年にはチャートのトップテンを飾った。
ところが、10年には自身の男問題が「重大な契約違反」とされ、CD回収など厳しいペナルティを科せられる。
それから2年後、まさかのAVデビューで衝撃を与え、1年で6本の作品をリリース。ただし、歌手時代ほどのヒット作とはならなかった‥‥。
伊藤英明主演で映画化され、大ヒットしたのが「海猿」(04~12年、東宝)だが、伊藤由奈(35)が歌う主題歌「Precious」(06年)も同様にヒットした。すでに紅白の出場経験もあり、伸びやかな歌声は、さらなる飛躍が期待された。
ところが12年、日本での活動を休止させ、ロサンゼルスに拠点を移す。もともと、ハワイ生まれのハーフで日本語が苦手であったため、日本での活動に限界を感じていたようだ。現時点では、復帰に向けてのニュースは伝わっていない。
同じくハーフのアンジェラ・アキ(41)は、紅白に6年連続で出場したほどの実力派である。さらに、父親が英会話の「イーオン」の創業者という裕福な家庭に育ったことも目を引いた。
だが、14年8月の日本武道館公演を最後に、無期限活動休止に入る。それから5年が経過したが、楽曲提供などを別にすれば、自身の活動はストップしたままである。
平成を代表する歌姫であった安室奈美恵(41)は、CD売り上げだけでなく「アムラー」などの社会現象を生んだことでも特筆される。
安室は17年に「18年9月をもって引退」を発表し、そこからツアーチケットやベストアルバムがバカ売れし、巨大な“引退マネー”を荒稼ぎして締めくくった。
その引退に異を唱えるつもりはないが、今年1月に放映されたNHKのインタビューで「7年前から声帯を壊していた」ことを告白。確かに高音の伸びは全盛期と比べるべくもなかったが、せめて、ラストツアーの前に告白してもよかったのでは‥‥。
08年にリリースした谷村奈南(31)の「JUNGLE DANCE」は、PVでGカップのバストがブルブル揺れるということで火がついた。動画サイトで記録的なアクセスとなり、それがCDセールスにも還元された形である。
谷村は17年にプロボクサーの井岡一翔と結婚したが、わずか1年半後の18年11月に離婚を発表。その原因は、井岡が元モデルとの不倫に走ったからだとか。井岡は谷村との離婚から3カ月後にはデキ婚という、尋常でないスピードのフットワークを見せている。
谷村は海外留学を経て、再起の日を心に期しているという。
同じく夫に振り回されたのは「mihimaruGT」のhiroko(34)である。06年から2年連続で紅白にも出場したが、13年にユニットとしての活動を休止。hirokoが一般男性との入籍と妊娠を発表したことによるが、この夫というのがとんでもなかった。
hirokoとの結婚と同時に架空の出資話をあちこちに持ちかけ、昨年12月に詐欺容疑などで逮捕。余罪が次々と明らかになっているが、夫の手口は「有名人との交流」をちらつかせること。hirokoの名前も利用されたことになる。
今年1月、ようやく離婚に踏み切れたことがせめてもの救いだろうか──。