国民を熱狂させた五輪のメダリストたち。明晰な頭脳と美貌で一世を風靡した才媛たち。華々しい活躍とは裏腹に、一変した現在とは?
「今まで生きてきた中で、いちばん幸せです」
92年のバルセロナ五輪競泳女子200メートル平泳ぎを14歳の若さで制した岩崎恭子(40)。金メダルへの素直な感想は、同年の流行語にもなったほどだ。
急転、あの時の国民的ヒロイン・岩崎は18年、ブログに悲痛な言葉を残す。
〈明日発売される週刊誌にて、以前より親しくしていた一般男性との不倫に関する報道があると聞いています。報道内容の詳細までは確認できておりませんが、私がこの男性と恋愛関係にあったことは概ね相違ありません〉
岩崎は現役引退後もキャスターなどで競泳のサポートに貢献してきた。ところが、7歳の娘がありながら妻子ある男性とのダブル不倫が発覚。しかも、密会現場では金髪のカツラを着用するという変貌ぶりが世を驚かせ、岩崎は直後に夫との離婚を余儀なくされた。
現在、静岡のローカル番組に復帰こそ果たしたものの、東京五輪までの完全復活は多難である。
岩崎が金メダルを獲得した8年後のシドニー五輪では、同じく競泳の400メートル個人メドレーで銀メダルに輝いた田島寧子(37)が名セリフを飛ばす。
「めっちゃ悔しい~! 金がいいですぅ~!」
一躍、茶の間の人気者となったが、翌年に現役を引退して「女優へ転向」を宣言。まさかの選択にバッシングが起こり、また、引退や日本体育大学の中退を聞かされていなかった水泳連盟との間にも禍根を残したままだ。
女優転向後、週刊アサヒ芸能のインタビューにも何度か登場しているが、常に「バッシング記事の全てをチェックしている」という人間不信ぶりが目立った。
結局、女優として大成できなかった田島は、07年3月に芸能活動を引退し、一般人として生活している。
このシドニー五輪では、テコンドーで初のメダリストとなった岡本依子(47)も印象深い。銅メダルを獲得しながら、テコンドー協会の分裂により、アテネ五輪の世界予選出場を逃す。
それでも、明るいキャラも手伝ってテレビでも活躍したが、07年9月のブログが状況を一変させた。
〈今日は聖霊様がどんな方か説明させていただきます。聖霊様はイエス様を信じる人の中に天国から送られる助けてくれる霊です。イエス様の十字架を信じる人の中には聖霊様が宿られるのです〉
この文章が「霊感商法ではないか?」とされ、岡本は表舞台から姿を消す。実際は真剣に牧師になることを目指し、昨年4月、聖地エルサレムで儀式を受けて正式に牧師となっている。
冬季大会に目を移すと、98年の長野五輪で「史上初の金メダル女子」となったモーグルの里谷多英(42)を忘れてはならない。優勝直後にシャンパンを一気飲みして物議を醸したが、これはほんの序章にすぎず、前代未聞の不祥事を起こす。
03年11月には会社員と結婚したが、05年2月、クラブのVIPルームで泥酔して店員に暴行。そのきっかけとなったのは、丸見えの部屋で外国人相手に乱交をしていたと報じられたことだった。
責任を感じた里谷は、以降も強化指定選手でなく、自費で大会に参加するも、成績は振るわず、13年1月に現役を引退する。
続いては文化人篇に移るが、インパクト大だったあの会見は記憶に新しい。
「STAP細胞は、ありまぁす!」
理化学研究所の研究員として発表した「STAP細胞」の論文で時代の寵児となった小保方晴子氏(35)だが、その後、不正が発覚。会見での厳しい追及を受け、理研からの退職を余儀なくされた。
しばらく姿を見せなかった小保方氏は、16年5月に「婦人公論」の瀬戸内寂聴氏との対談で表舞台に復帰。ただ、ネット上では「顔が別人?」と思わぬ“余波”が巻き起こっている。
07年の参議院議員選挙で初当選した姫井由美子氏(60)は、破った相手の名前をもじって「姫の虎退治」を華々しくアピール。メディア露出も多かったが、翌年に発覚した過去の不倫騒動が運命を変える。
不倫相手に「ぶってぶって」と迫ったことを暴露され、たちまち「ぶってぶって姫」の愛称がついた。その後は落選続きとなり、16年の参院選でも政界復帰はならなかった。
いかにもバブル時代を象徴したのが、美人小説家で売り出した椎名桜子氏(53)である。処女作の執筆中からメディアに取り上げられるという“上げ底感”が半端なく、デビュー作「家族輪舞曲」の映画化では自身が監督を務めている。
すっかり忘れられた存在となっていたが昨年5月、椎名氏の個人事務所が破産したことを報じられる。彼女自身のバブル崩壊は、長い月日のあとにやってきたようだ。