もともと芸能新聞としてスタートした週刊アサヒ芸能は、常に流行歌(ヒット曲)とともにあった。聴けば誰もが口ずさむ歌姫たちは今──。
「主人の死を冷静に受け止めるには、まだまだ時間が必要と思います。静かな時間を過ごさせてください」
92年9月21日、最愛の夫・郷えい治を失ったちあきなおみ(71)は、そう挨拶した。だが「冷静に受け止める時間」は、26年がたった今も凍結されたまま。
「むしろ、本人が姿を見せなくなってからCD全集がバカ売れし、テレビで特番が何度も組まれています。本人は再三のラブコールにも一切、耳を貸しません」(音楽ライター)
都内でつつましく暮らしているが、以前ほど素顔での買い物や、夫が眠る墓地へ行くことは少なくなっている。今なおマスコミの張り込みにあうことが苦痛であるようだ。
そのちあきもお手本としたのが、60年に「アカシアの雨がやむとき」をヒットさせた西田佐知子(79)だ。71年の関口宏との結婚後も不定期に活動していたが、82年限りで歌手を引退。専業主婦となったのは、関口の父である佐野周二の意向が強かったという。
ハスキーな声と美貌で日本でも根強い人気だった桂銀淑(57)は、01年以降、借金トラブルなどでテレビに出る回数が激減。さらに07年11月26日、覚醒剤所持の現行犯で逮捕されたことにより、今なお再入国は許されていない。
「何年かかっても日本に行って直接、ファンの方にお詫びしたい」
ソウルからの中継で桂はそう訴えたが、情勢はますます悪くなった。
「韓国でもたびたび詐欺容疑や覚醒剤使用で逮捕されましたが、今年1月31日にも新たな詐欺容疑で訴えられたことが、韓国メディアで報じられた。日本への来日は、半永久的に閉ざされたと思います」(芸能ジャーナリスト)
ハーフ歌手として「歌謡ロック」を確立したアン・ルイス(62)は、長らく「パニック障害」に苦しめられたとみずから告白。80年代にはカラオケで「六本木心中」や「あゝ無情」が定番ソングだったが、90年代には活動を縮小。
「今でも人前に出ることが怖いから、ライブはできない。日本に在住することはもうないと思う」
09年に久々のテレビ出演でこう打ち明けている。13年4月、アンは元夫の桑名正博、息子の美勇士と3人で共演CDを発表。これがアンにとって芸能界を完全に引退する作品となった。
ちなみに、桑名は前年の10月26日に亡くなっていたため、お互いのラスト作となった形だ。
79年から80年にかけて、自作のデビュー曲「異邦人」がミリオンセラーになった久保田早紀(60)は、その美貌も大きく注目された。オリエンタルな楽曲は今なお多くの歌手にカバーされているが、わずか5年で活動を封印している。
ただし、結婚を機に教会音楽家として、本名の「久米小百合」名義で地道な活動にシフト。むしろ、その名前のほうが長いキャリアになっているが、日本聖書協会の親善大使を務めるなど、今でもブレのない活動を行っている。またいつの日か「異邦人」を解禁する日が来るのだろうか‥‥。
沖縄出身の歌手として初めて紅白に出場した仲宗根美樹(74)は、波乱の人生を送ってきた。沖縄返還の使者として佐藤栄作総理(当時)と現地を訪問したり、75年の沖縄海洋博では夫が関連事業で多額の借金を背負う。さらに夫が美容サロンのチェーン展開に失敗、離婚せざるをえなくなった。
親交の深い日本歌手協会理事・合田道人氏が言う。
「歌手協会主催の歌謡祭で『川は流れる』を歌ってほしいとお願いしたら、もう人前では歌いたくないと断られました。銀座のクラブ経営に専念したいとのことでした」
最後は「ブルー・ライト・ヨコハマ」(68年)など、多くのヒット曲を持ついしだあゆみ(70)を。近年は女優としての顔のほうが知られているが、このところ姿を見せていない。
「もともとスレンダーだったのが、還暦を過ぎてからさらに細身になって体調面を心配されました。女優としての活動もここ4年ほどストップしていて、どういう状態なのか心配されています」(芸能レポーター)
つややかな歌声と、存在感ある演技を再び披露してもらいたいものだが‥‥。