●ゲスト:ハリウッドザコシショウ(はりうっど・ざこししょう) 1974年、静岡県生まれ。高校を卒業後の92年、大阪NSCに入学。同期にはケンドーコバヤシ、中川家、陣内智則、たむらけんじなどがいる。93年、高校の同級生と組んだ「G★MENS」でデビュー。主に心斎橋筋2丁目劇場で活動していたが、99年の閉館に伴い、上京。2002年、コンビを解散し、ピン芸人となる。07年10月スタートの「あらびき団」(TBS系)には初回から出演し、徐々に人気を集め、番組に最多出場したことなどから「キング・オブ・あらびき」と呼ばれる。16年3月、「R-1ぐらんぷり」(フジテレビ系)で優勝。現在も多くのバラエティー番組などで活躍中。
謎の言葉「ハンマーカンマー」を連呼する古畑任三郎など、ぶっ飛んだモノマネ芸や奇想天外なネタで人気のお笑い芸人・ハリウッドザコシショウ。さまざまな挫折を味わいながらも自分の笑いにこだわり、ついに世間に認めさせたその姿勢と才能に天才テリーも太鼓判を押した!
テリー ザコシさんは「R-1ぐらんぷり」で優勝してから大活躍だね。
ザコシショウ ありがたいですね。以前に「スッキリ」でネタをやってテリーさんに賞をいただいた時もむちゃくちゃうれしかったです。
テリー 「あらびき団」の頃から見ていて好きだったからね。俺、絶対売れないと思っていたんだけどな。
ザコシショウ アハハ、よく言われます。
テリー いや、かなり特殊な芸風だから。そもそも何がきっかけで芸人になろうと思ったの。
ザコシショウ 小学校の時に見ていた「オレたちひょうきん族」です。ビートたけしさんが他の芸人さんにバシバシ突っ込む姿を見て「カッコいいな」と思ったんですよ。憧れましたね。
テリー じゃあ、そこからたけしさんのあとを追って。
ザコシショウ いえ、それが中学生ぐらいになると、エッチを求めて深夜番組を見始めるわけです(笑)。そこで竹中直人さんの「東京イエローページ」という番組を見たら、いわゆる普通のお笑いをやられてなかったんですね。白目をむきながら頭がおかしくなりそうなコントをやっていて、「こんな笑いがあるのか、すごいな」と。
テリー その頃から変なものが好きだったの。
ザコシショウ そうなんですかね(苦笑)。で、高校卒業後に、同級生の浅井(静岡茶っぱ)君と一緒に、吉本興業に入りました。大阪NSCの11期生です。
テリー 静岡生まれなのにどうして大阪まで行くことになったの。
ザコシショウ 当時は芸人になる道としては、ウッチャンナンチャンさんが卒業した横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)かダウンタウンさんのNSCが有名だったんですけど、映画専門学院は学費がすげぇ高くて、入学金だけで60万ぐらい必要だったんですよ。でもNSCは5万ぐらいで入れて、浅井君の家も学費を割く余裕がなかったので「もうNSCしかないね」と。
テリー ああ、友達の事情に合わせて選んだんだ。
ザコシショウ そうなんですよ。あと、そもそも浅井君のほうから「コンビを組もう」って誘われていたんですよ。それなのに高3になったら、浅井君は先生から「現実を見ろ」って説得されて、就職の面接に行っちゃったんです。
テリー えー、自分から誘っておいて、それはひどいじゃない(笑)。
ザコシショウ でも、結局面接に落ちてしまったので、「じゃあ一緒に行こうか」ということになって。
テリー とんだお騒がせ野郎じゃない。
ザコシショウ でも浅井君がそこで就職していたら、たぶん僕は大阪に行ってないと思いますね。知らない土地で慣れない勉強をする度胸は、当時の僕にはありませんでしたから。
テリー なるほど、そこが最初の運命の分かれ道だったわけだ。