多忙をきわめた桃子のスケジュールだが、スタッフに対して不満の表情は1度も見せたことがない。鎌田は、タヌキ顔の穏やかな笑顔の裏に秘めた“凄味”に遭遇している。
「春の号の撮影は2月になってしまうけど、その日は凍えるような寒さの河口湖でロケ。もともと春用の薄手の衣装なのに、カメラマンが『湖に入ってちょうだい』とお願いしてね。桃子は文句の1つも言わずに、裸足になって湖に入っていった。さらに冷たい岩の上でも、カメラマンの注文のままに寝転がってくれた」
直後に桃子が風邪をひき、所属事務所の社長から大目玉を食らったと鎌田は苦笑する。
さて80年代アイドルは、80年4月にデビューした松田聖子を起点としているが、鎌田は双方の撮影に立ち会っている。聖子は直前まで険悪な状態のマネジャーを睨んでいても、撮影の瞬間に100%の笑顔になれる。
「プロ中のプロが聖子なら、アマ中のアマが桃子という感じがした。仕事はまじめにこなしてくれるけど、絶対に『私が、私が』とならない稀有な子だった」
チェッカーズや中森明菜など、80年代のアイドルに数多くの詞を提供した売野雅勇もまた、桃子に魅せられた1人。9枚目のシングル「Say Yes!」(86年9月)から作詞を担当するが、その顔合わせでのことだ。桃子の事務所の社長であり、杉山清貴らの音楽プロデューサーで知られる藤田浩一と3人でテーブルを囲んだ。
「食事の間、彼女は一言も口をきかなかった。ずっとニコニコはしているんだけど、僕の話を聞いているだけ。それがたまらなく新鮮だったね。自分にもこんなシャイな時期があったなと思ったよ」
その場にいた藤田社長から「日本一の『お嫁さんにしたいアイドル』にさせたい」と聞かされた。性善説を感じさせるアイドルは、河合奈保子と桃子が双璧だと売野は思った。
売野は「ウィスパー唱法」と呼ばれた桃子の世界観は生かしつつ、少しだけ積極的な詞を書いた。
「内向的なファンの人を励ますようなメッセージ性を加えてみました。振り付けも、西城秀樹の『YOUNG MAN』を意識した派手な動きに変わった」
チャートの1位に輝き、以降も売野は桃子の作詞を手がけ、さらには「ラ・ムー」という桃子をメインとしたロックバンドにも関わった。残念ながらラ・ムーは企画倒れに終わり、桃子は歌手としての活動を休止する。あれから20年以上が経つが、裏表のないイメージを今も保っていることを、売野は素直に称賛する。
そしてもう1人、南野陽子もまた多忙なスケジュールを誇った。映画としての代表作である「はいからさんが通る」(87年、東映)の佐藤雅道監督は、完成作を観て思った。
「大きなスクリーンでこそ映える美しさがあったね。トップアイドルになるのは、選ばれたこういう子なんだと思ったね」
同作では阿部寛が俳優デビューを飾っている。佐藤は、主演のナンノと素人同然の阿部の双方に目を光らせた──。