斉藤由貴のヒット曲「悲しみよこんにちは」は、フランソワーズ・サガンの小説から題を得たもの。さらに、その主人公をタイトルとしたのが浅香唯の「セシル」(88年8月)である。言うまでもなく「スケバン刑事」の1作目と3作目で主演を張った両者だが、シングルにおいても奇妙にリンクしているのだ。
そんな「セシル」を作詞した麻生圭子は、浅香への数ある提供作の中でも「いちばん気に入っている」と明かす。いじらしさが凝縮されたヒロイン像は、男性ファンにとっても1、2を争う人気曲である。
チャートの1位に輝いた同作の発売から宣伝担当となった武田晶彦は、絶頂期にあった浅香の毎日に同行した。
「アイドルの王道でしたから、テレビやラジオの歌番組はもちろん、コンサートもこなした。ユーチューブなんてない時代でしたから、ダイレクトに新曲を届けるためには、全国キャンペーンも回りましたよ」
新興のレコード会社である「ハミングバード」にとって、浅香唯は中村あゆみと並ぶ“稼ぎ頭”だった。80年代後半のアイドルシーンでは、中山美穂、工藤静香、南野陽子と並ぶ「アイドル四天王」という呼称もあったが、CMや映画も含めた忙しさでは浅香が抜きん出ていた。
「テレビをつけたら必ず唯ちゃんのCMが流れているような時期でしたね」
そう話す映画監督の吉田一夫は、浅香の主演第2作「YAWARA!」(89年、東宝)でメガホンを取った。浦沢直樹の人気コミックを実写化したもので、可憐なヒロインはぴったりの役どころだった。
これが監督第1作だった吉田は、すでにドラマや映画で実績のある浅香の「カンの良さ」に目を見張る。
「柔道ですから受け身を取るシーンは多いが、唯ちゃんはダンスを踊るような受け身ができるんですね。ふだんの身のこなしもシャープだけど、演技に対しても自分の中でどんどんと消化できる子だった」
筆者は主演第1作の「スケバン刑事 風間三姉妹の逆襲」(88年、東映)を劇場で観たが、どのポーズも効果音とともに完全に決めてみせる天性のケレン味に釘づけとなった。あの動きをされれば、演出する側はさらに相乗効果で彼女を光らせようとするだろう。
アイドル活動と合わせてハードなスケジュールだったが、吉田の要望どおり、講道館で実技の指導も受けに行った。映画の公開がバルセロナ五輪の3年前であるため、ハイライトはバルセロナを目指す位置に立つドン・キホーテ像の前で撮影した。相手役には原作よりも長身の阿部寛を起用し、小柄な浅香とのコントラストを図った‥‥。
「いずれも思い出深いですが、残念だったのは完成した直後に唯ちゃんが別の仕事で骨折してしまったこと。完成試写会の舞台挨拶をキャンセルしてしまい、ファンにとっては主役不在の日となってしまいました」
定期的に開かれる現在の「握手会」ではない。距離感を保ちながら、アイドルとファンの間に「特別な日」がそこに存在していたのである──。