サッカー日本代表を2006年ダブル杯ロシア大会でベスト8へと導き、ガンバ大阪をアジア王者に押し上げた名将・西野朗氏に救われたことがあると、元日本代表の中澤聡太氏が明らかにした。
元日本代表の橋本英郎氏のYouTubeチャンネルに出演し、自身のサッカー人生を振り返った中澤氏。西野氏との出会いは、高校3年生の時だった。
高校卒業後の中澤氏は、中学時代に所属した浦和レッズに進むつもりだったという。しかしここで、柏レイソルの監督だった西野氏から「待った」がかかる。
「いきなり電話がかかってきて『お前、レッズに行くって聞いたけど本当か』って。けっこう真剣な話をしてくれて『お前はすぐには絶対無理だよ。すぐには試合に出られない。俺がお前を引き上げてやる。成長させてやるからウチに来い』って言ってくれた。それでレイソルに行こうって。一瞬で覆った」
これに元ガンバ大阪の橋本氏は、西野監督が自ら声を掛けたことなど聞いたことがないと驚いたのである。
西野氏の力説で柏レイソル入りを決めた中澤氏だったが、その半年後、西野氏は成績不振で解任されてしまう。成長させてやると言った監督がわずか6カ月でいなくなってしまったことについて中澤氏は、
「厳しい世界だなと思った」
ユース代表に招集されるなど活躍していた中澤氏だが、ケガが重なり、柏では思ったようなプレーができず。プロ5年目にFC東京にレンタル移籍したが、ここでもケガのため、2試合の出場にとどまった。シーズン終了後、チームの構想外となり、途方に暮れていた中澤氏に、ガンバ大阪の監督になっていた西野氏から、再びオファーが舞い込む。
「エージェントから『西野がお前は必要としている』と。もちろんレギュラークラスじゃないし、よくて4番手、まあ5番手だろうと。泣きそうですよ。そこからサッカーのスイッチが入った」
これを聞いた橋本氏はまたしても、
「すげえ、朗マジック」
と驚いたのであった。
ガンバ大阪では西野監督の指導の下で急成長し、AFCアジア・チャンピオンズリーグや天皇杯制覇に貢献。西野氏は「引き上げてやる。成長させてやる」と言った約束をきっちりと守ったのである。
(鈴木誠)