長岡は由貴のデビューに「作詞・松本隆、作曲・筒美京平」という、これ以上ないゴールデンコンビを用意した。それも、ただ依頼しただけではなく、何度となく三者でミーティングを重ねたのだ。
「由貴さんがオーディションで歌った5曲を録音して、それを2人に聴いてもらったんです」
松田聖子の「夏の扉」に「SWEET MEMORIES」、原田知世の「時をかける少女」、あみんの「待つわ」、そして中島みゆきの「悪女」だった。聴き終えて感想を求めると、松本と筒美の意見は一致した。
「あみんの『待つわ』が心に響いたというんです。彼女は歌声が澄んでいて、表情も豊かである。ジャンル分けではないが、それなら、歌詞をきちんと伝えるような歌を作ろうということになりました」
本来は筒美の作曲が先ということが多いが、これに関しては松本の「詞先」とした。すでに「卒業」というタイトルは決まっていて、それなら彼女が通う高校はどんな風景か。桜並木があって、校庭はアスファルトではなく土のはずだ‥‥。こうした議論を重ね、松本隆一流の叙情的な世界が完成する。
「レコーディングでは筒美さんがサビの部分を追加したんです。当初は『卒業式で泣かないと‥‥』だったのを、その前に『ああ』と入れようと」
せつなさが増幅され、今なお卒業ソングとして揺るぎない人気を誇るスタンダードになった。
さらに長岡は、シングルでは5作目となる「悲しみよこんにちは」(86年3月)までを立て続けにレコーディングした。それは長岡の“戦略”であり、デビュー曲に自信があればこそ、2曲目以降を固定した路線にされたくないという判断だった。
「だから新曲を出すたび、いつも社内で『イメージが違うね』って言われましたね。どんな曲でも必ず言われるということは、展開としては楽しかった」
最たる例が13作目の「夢の中へ」(89年4月)であろう。井上陽水の名曲を歌った唯一のカバーシングルであるが、大胆なアレンジや振り付けも功を奏し、最大のヒットを記録した。
長岡はサビの「ウッフッフ~」の部分を、由貴がどのキーで、どう歌うかを聴きたかった。陽水の事務所に出向き、大胆なアレンジになることの了解を得た上での“冒険”だった。
最初の出会いから30年近くが経つが、今も由貴の教会でのコンサートをプロデュースするなど、変わらぬ縁は続いている。
「由貴さんのライブは歌で癒されて、毒舌のMCで大笑いさせられるという独特のライブ。あの飄々としたマイペースさは、樹木希林さんと共通したものを感じます」
初期の代表作「はね駒」では、母親役の樹木希林が芸術選奨文部大臣賞、由貴が文部大臣新人賞という“出会い”があったのだ。