「バースの悲劇」から16年。歴史はまた繰り返された。01年の近鉄のローズである。9月24日の西武戦で松坂大輔から55号を放って日本記録に並んだ時点で、残り試合数は5。近鉄は26日のオリックス戦でリーグ優勝を決めたあと、ロッテ戦を挟み、ダイエー戦に臨む。この時の敵将はまたしても王貞治その人だった。
王監督は試合前、ローズと談笑し、「60本だぞ、いいな!」と激励。記録更新を歓迎すらしていたはずだったのだが、試合が始まると、近鉄は3番打者のローズを1番で起用したにもかかわらず、ダイエー先発の田之上慶三郎は第一打席から露骨な敬遠策に出た。4打席全て、四球だった。
試合前のバッテリーミーティングで、ダイエー若菜嘉晴バッテリーコーチは次のように発言したとされ、そうした報道も残っている。
「近鉄に優勝されるわ、監督の記録は抜かれるわじゃ申し訳が立たない。外国人に抜かれるのは嫌だ。王さんは記録に残らなければならない人。ローズに積極的になるな」
はたしてこれは本当なのか。若菜氏にコトの真偽を尋ねると、こう答えた。
「あれはね、ある記者に『個人的な考えとしては、子供たちの目標になるとすれば、どうせ抜くのなら日本人選手がいい』と言ったことがいろんな方向で大きくなっただけ。そもそも一コーチが『歩かせろ』なんて指示は出せませんよ。決定権は監督にしかない。あとはバッテリー。結局どういう考えだったのか、あのバッテリーでないとわからないですよ。ただ、雰囲気としてはあったと言えます。周りが何となくわかっていたと思いますよ。気を遣わないほうがおかしいでしょ」
敬遠の指示は明確に否定しつつも、「方向性」の存在は感じたという若菜氏。
「『満塁でローズだったらどうしたらいい?』と聞くと『それでも勝負しないほうがいい』と言うコーチもいたし、田之上には最高勝率のタイトルがかかっていた。だから、そう(打たれる覚悟で勝負しろ)とは言えないですよ。ただ、ローズが55号を打った前後の試合を見てほしい。ダイエー戦前にオリックス、ロッテと2試合、後にもオリックスと2試合で対戦している。そもそも対戦前に(56号を)打ってしまってるかもと思っていたし、ダイエー戦で達成できなくても次で打つんだろうなと思うじゃないですか」
だから記録阻止の意図はなかったのか、それともやはり「聖域」を意識した結果なのか‥‥。
だが、一方のローズは複雑な思いで臨んでいた。
「実はあの時、『56号を打ってはいけないと、頭の中でわかっていた』と球団首脳に漏らしていました。『恐らく四球攻めだろうから』とも」(球団関係者)
近鉄に入団する際、「心の日本人になろう」と決めたというローズに「やっぱり俺は外国人なんだ」と思い知らせた瞬間だった。若菜氏は言う。
「バレンティンには(記録を)抜いてほしいと思ってるよ。今回は誰も気を遣う場面はないもん。早く王さんの呪縛を取ってもらわないと。もう50年もたってるんだから、破られないほうがおかしいでしょう。どこかで終止符を打たないと、ずっと言われるから」