元プロ野球選手の谷繁元信氏といえば、1988年のドラフト1位で横浜大洋ホエールズに入団。その後、2002年からは中日ドラゴンズでプレーし、プロ通算27年間で2108安打を放ち、名球会入りを果たしている。
そんな谷繁氏がドラゴンズ移籍3年目に、落合博満氏が監督に就任。谷繁氏は「7」を背番号としてきたが、落合監督から「22」か「27」に変更する指示を受け、結果「27」を選んだ経緯を明かした。
名球会が運営する公式YouTubeチャンネル〈日本プロ野球名球会チャンネル〉に谷繁氏が出演した、2月14日の《【落合博満監督とのバトル!?】中日ドラゴンズ谷繁元信選手兼監督時代の苦悩とは!?<日本プロ野球名球会>》とタイトルされた投稿回でのことだ。
落合監督がこだわる正捕手のエースナンバーは、巨人V9時代の正捕手であった森昌彦(後に森祇晶と改名)氏の「27」か、田淵幸一氏の「22」だったという。
しかし、田淵氏をモデルに描き、後にアニメ化もされた4コマ漫画「がんばれ!!タブチくん!!」のユーモラスなイメージが強かったため、谷繁氏は「27」を選択。
「あの風貌はボクのキャッチャー像じゃないんですよ。あのイメージじゃないんですよ」とスタジオを沸かせた。
また、後に故・野村克也氏にそのことを報告すると、野村氏は背番号「19」だったことから、「その番号の中に何で『19』が入ってないんだって怒ってましたけどね」といった、何ともややこしいエピソードを笑いを交えて谷繁氏は明かしたのだった。
聞いてみれば確かに、なぜ野村克也氏の名前は入っていなかったのだろうか?ぜひ、この番組に落合氏を招いて、こだわりのポイントを訊ねてもらいたいところだが…。
(ユーチューブライター・所ひで)