1996年、セ・リーグを制覇した巨人を振り返ってみる。この年、初の開幕4番を飾った松井秀喜氏。途中、落合博満氏に4番を譲ることはあったが、7月、8月と2カ月連続で月間MVP受賞。さらにはセ・リーグMVPに輝き、逆転優勝に大きく貢献した。タイトルにこそ届かなかったが、当時22歳だった松井氏の38本塁打は王貞治氏に並ぶ年齢別最多本塁打記録であり、優勝できたのも松井氏のお陰だと当時の長嶋茂雄監督は語っている。
95年に広島東洋カープから巨人に移籍した元プロ野球選手の左腕、川口和久氏が、元プロ野球選手の石毛宏典氏のYouTubeチャンネル〈石毛宏典サブチャンネル〉に出演。2月20日に〈松井秀喜は本当に特別だった【川口和久】〉とタイトルした投稿回で、長嶋監督と松井氏の親密な関係性を語り合っている。
巨人は96年オフ、落合氏の退団とともに、清原和博氏の西武ライオンズからの移籍を発表。当時の新聞報道では、松井氏と清原氏の4番争いを刺激するような発言を長嶋監督がしていたと石毛氏は振り返る。その石毛氏は96年を最後に引退、評論家の立場でそのことをキャンプ時の松井氏に「ちょっと意地悪な質問するけど…」と直接訊ねたところ、「ああ、大丈夫です。それはミスターのリップサービスですから」と返したのだとか。
まだ若かった松井氏に「この子の感覚ってすごいなと思って。気にしてません、私が巨人の4番を張ります、清原さんには負けませんという“自信”なんだよね」と、当時の心境がよみがえったように感心してみせた石毛氏。
これを受けた川口氏は「ミスターと松井は親子ぐらいの感覚。キャンプでも夜ずっと松井のスイング見てました」と当時を振り返ったのだった。
92年のドラフト会議で松井氏を引き当てたミスターの不敵とも思える笑みは今も記憶に新しいところ。懐かしさがよみがえる興味深い回だった。
(ユーチューブライター・所ひで)