いわゆるモデルやアイドルからの転身組とは違い、江口の女優志望は筋金入りだった。小学6年生の頃から高校進学を拒否し、中学3年生で女優業を志すと、有言実行したのだ。
「役者になるためにお金を貯めて上京しようと、中卒でアルバイトに励んだんです。うどん屋、カラオケ屋、洋服屋、レコード屋など、バイト先を替えながら3年間続けましたが、いずれも長続きせず、お金はなかなか貯まらなかったといいます。それでも19歳の時に『東京乾電池』の研修生募集に応募して合格し、たった2万円だけを持って上京したんです」(芸能記者)
江口が同劇団入りに傾いたのは、座長が柄本明であり、劇団などでありがちな押し付けがましさがないことに魅力を感じたからだという。
芸能ジャーナリストの平田昇二氏によれば、
「『半沢直樹』でも江口が所属する政党の幹事長役を柄本が務め共演していましたが、柄本は彼女の女優としての資質を高く買ってきました。時に『もう劇団辞めろ!』と怒鳴りつけたこともあったようですが、2人の絆は深かったようです。あまりに柄本が江口をかわいがるため、亡くなった夫人が愛人関係を疑ったほどだといいます」
研修生時代の江口は、従業員用のアパートも用意された新聞販売店での仕事に明け暮れたが、下積み生活も苦にはならなかった。
「毎朝3時起きで朝刊を配り、賄いを食べてから寝て、午後には夕刊を配達する。夕食用のお弁当も用意されていたのに、代金を払わないといけなかったため、朝の残り物を無料でもらって、風呂なしのアパートに帰宅していたといいます。週2回は劇団の授業を受ける生活を続け、1年後には劇団員に昇格しました。新聞奨学金で60万円を得ると彼女は新聞配達をやめ、以降は定期的なバイトを入れずに女優業に邁進したんです」(芸能記者)