85年に誕生したおニャン子クラブは、アイドルの勢力図を一変させた。会員番号13番の初期メンバー・内海和子(54)が、騒乱の日々を振り返る。
──女子高生ぞろいの「夕やけニャンニャン」(フジテレビ系)にあって、実は女子大生だったとか。
内海 そうなんですよ、戸板女子短大に入学すると同時にオーディションを受けたので。しかも、一時期は「オールナイトフジ」(フジ系)にも掛け持ちで出演していました。
──80年代の「女子高生ブーム」と「女子大生ブーム」を同時に発信した珍しいケース。さて、通称「夕ニャン」では、石橋貴明との激しいバトルも名物になりました。
内海 あれはもともと立見里歌(会員番号15番)とタカさんがモメていて、私がそこに巻き込まれる感じでした。
──今では一般用語となった「オイニー(匂いがきつい)」などの洗礼も浴びて。
内海 私、そんなに香水をつけた記憶はないのですが、タカさんのあまりにキツい言葉に「さすがに傷つくなあ‥‥」と。その反面「イジってもらえないと淋しいよな」という気持ちもありました。
──目立ってナンボみたいな部分ですね。さて「おニャン子」は、それぞれに熱狂的な追っかけがいたことでも有名ですが。
内海 でも、私のファンは女性の方が多かったんですよ。今もインスタグラムやブログの反応で、女性の方が多いなと思います。
──そして、メンバーそれぞれがソロデビューを飾っていきました。
内海 私は歌手になりたい一心で平尾昌晃先生の教室にも通っていましたし、おニャン子の誰かが「歌う」ということでライバルと思ったこともありません。
──おお、なるほど。そして待望のソロデビューが86年11月の「蒼いメモリーズ」でした。
内海 おかげさまでオリコン3位に入ったんですけど、ソロデビューした子たちは1位が多かったから、ちょっと残念でした。何よりも悔しかったのは、立見里歌がメインだったニャンギラスの「私は里歌ちゃん」でさえ1位を取っているのに(笑)。
──立見が歌い始めた瞬間に、バックのメンバーもずっこけるという伝説の歌唱力ですね。当時は、おニャン子に「恋愛禁止令」は?
内海 スタッフが厳しかったので、もちろんありましたよ。ただ、学校とテレビ局の往復みたいな毎日だったので、恋愛するヒマもなかったですけど。
──87年の卒業から6年後、メンバーでは初めてのヘアヌード写真集も発売。かなり意外でしたが。
内海 アメリカのアリゾナ州でのロケだったんですが、私、アメリカが大好きだったので、アリゾナの空気がそうさせたんでしょうね。アリゾナのマングローブか私か、という気分の乗り方でした。
──さて近年は、娘でタレントのゆりあんぬ(24)の奔放さが話題に。
内海 私が芸能界入りに猛反対したと書いてあったけど、厳密にはそうじゃないんです。小さい頃から原宿を歩けばスカウトされていたし、本人の興味もわかっていました。ただ、私の妹夫婦に子供がいないので、親族で唯一の存在だった彼女は甘やかされて育ってきた。もう少し海外で勉強するとか、そういう経験も積んでから芸能界入りしてもよかったかなと思います。
──しっかりと母親の顔ですね。