60年代前半までの紅白歌合戦は、ソロ以外の出場は認められていなかった。やがて、人気グループが次々と登場したことで門戸が開かれたのだ。紅白出場組以外にも、記憶に鮮やかなコンビやペアを追跡すると──。
70年代に誰からも愛される人気を勝ち取り、78年の後楽園球場での解散コンサートで歴史を封印したキャンディーズ。残念ながらスーこと田中好子は11年に他界。ミキこと藤村美樹は83年に芸能界を引退した。
ランこと伊藤蘭は女優として活躍しているが、19年に41年ぶりのライブ活動を再開。翌20年もキャンディーズの楽曲を数多く披露し、往年のファンの喝采を浴びた。
大先輩のザ・ピーナッツの引退と前後し、75年に同じ双子の姉妹で売り出されたのがザ・リリーズだ。つばめ奈緒美・真由美の2人は05年に再結成し、今も全国各地でヒット曲「好きよキャプテン」などを披露している。
同じく双子の姉妹には、香港出身のリンリン・ランランがいる。74年に「恋のインディアン人形」でデビューし、番組アシスタントなどでも重宝された。芸能界引退後は、そろってアメリカで生活している。
萩本欽一の高視聴率番組「欽ちゃんのどこまでやるの!」(テレビ朝日系)に、三つ子という設定でレコードデビューを飾ったのがわらべだ。デビュー曲「めだかの兄妹」(82年)や、次作の「もしも明日が…。」(83年)は、ともに100万枚近い売り上げを誇るヒットとなった。
二女のかなえ役だった倉沢淳美は現在、ドバイに家族で移住して、ちょうど10年になる。現地から当時の思い出を語ってくれた。
「どちらも年齢問わず、今でもたくさんの人たちに愛されている曲だと思います。この素晴らしい曲を歌うことができて幸せだと感じています」
3人の子供がいるが、インフルエンサーとして注目されている娘のケイナは、YouTubeに動画を発信。倉沢自身がカメラマンを務めているという。
「ケイナは今年、カナダのトロント大学を卒業しました。今はドバイから『ゼロ×ラボCawaii』というチャンネル内の『Snaps with Kayna in Dubai』という番組を配信しているので、検索してみてくださいね」
セイントフォーと売り出し金額を競ったのが、84年にデビューした少女隊である。25億円とも30億円ともウワサされたが、こちらも投資回収までには至らなかった。
ただし、福山雅治や大森南朋など、今も大ファンであることを公言する熱烈なマニアがいる。その声に応え、16年にミホこと藍田美豊、レイコこと安原麗子、チーコこと市川三恵子、椎間板ヘルニアで脱退したチーコの後続メンバーとなったトモこと引田智子の4人がライブ会場に現れ、デビュー曲「FOREVER」(84年)などを披露した。
昭和から平成に変わった89年、「淋しい熱帯魚」(89年)で記念すべき年の日本レコード大賞に輝いたのがWinkだ。オルゴール人形のような衣装と無表情な歌い方、さらにロボットダンスの振り付けで一世を風靡する。
相田翔子と鈴木早智子の2人はコンスタントにヒット曲を放っていたが、96年2月に、所属事務所から突然の活動休止が告げられた。当の2人の意思ではないことから憶測が飛んだが、今なお正式な再結成には至らず、かといって解散でもなく「活動休止中」のまま。デビューした88年から10年の節目ごとに再結成がささやかれたが、鈴木の不倫騒動やAV出演などがネックとなり、ごくわずかなゲスト出演のみにとどまっている。