芸能界にほんの少し興味を抱き始めたのは、昭和最後の年。おニャン子クラブの意思を継いだ乙女塾から、「ribbon」の一員として歌手デビューした松野有里巳(ありみ)(48)が、青春の日々を回想する。
新宿の「ニューヨークニューヨーク」。渋谷では「ラ・スカラ」と、16歳の松野はクラブ通いにハマり、夜ごと踊り明かしていた。
「上手な人の後ろで真似して踊るのが楽しくて。もっと上手くなるためにと、ダンススタジオを探していた頃でした」
深夜の「オールナイトフジ」(フジ系)を流し見していると、「フジで歌とダンスの3カ月無料レッスン」という宣伝が飛び込む。履歴書を送ると1次審査合格。2次審査日の早朝、フジテレビに行くと3000人を超す少女が集まっていた。ここで初めて、選抜メンバーは翌週から始まる「パラダイスGOGO」へ出演できることを聞かされる。
「驚きましたが、4次5次審査と合格するうちに『最後まで残ろう!』とやる気満々に。五十音順でずっと前後だった宮前真樹ちゃん(のちにCoCo)とは、合格のたびに『やった!』と喜び合いました」
美少女ぞろいの中、松野はトーク審査でフジ局員をうならせた。
「審査員に『応募写真よりずいぶん太ったね』と言われましたが、私が『今日のために栄養をつけてきたんです!』と言い張ると、そのとっさの切り返しが合格ポイントだったそうで。芸能界にそこまで興味がなかったので、気楽でいられたんだと思います」
自然体のまま9次審査まで通過し、みごと乙女塾の一員として「パラGO」に出演。当然ながら、生活は一変した。
「キャプテンだった軟式テニス部を辞め、放課後はフジ通い。学校から局までは親衛隊がカメラ小僧からガードしてくれました。通学の電車内では、他校の女子高生から『あれが!?』『かわいくないじゃん!』と悪口三昧。さらに、15歳の時に好奇心で出た『明星ヘアカタログ』で、さわやかヘア賞を受賞したことを発掘され、『さわやかヘア賞じゃん!』とイジられていました」
一方で、乙女塾メンバーの仲は良好。翌日が休日の生放送の終わりには、仲のいい数人で永作博美の家に宿泊。恋バナや仕事を語り明かし「博ちゃんが作ってくれるお味噌汁、美味しかったんですよ」と振り返る。
「メンバー間は本当に和気あいあい。でも一度だけ、すごく心を乱されたことがありました。8人でCMの撮影に参加したあと、放送を見ると、『EQUALロマンス Song by CoCo』のクレジットと歌が。8人のうち5人が『CoCo』としてデビューしたことを誰も聞かされていなくて、もう負けた気がしてショックでした」
だが、松野は番組開始当初からそれまで、毎回出演していた数少ないメンバーのひとり。「きっといつかはデビューできるはず」という確信が現実となり、89年12月に「ribbon」でデビュー。
「ただ、アイドルとしてついていくのに必死な毎日。ずっと自分の居場所に違和感があり、94年に自分から活動休止を相談しました」
3年ほど「ほかのメンバーの活動をテレビで見られない」引きこもり生活が続いたが、信頼するパートナーとの結婚を経て、現在はスポーツインストラクターとして精力的に活躍中。
「有酸素系プログラムが得意で、『たくさん汗をかける』とお客様から支持していただいています」
クラブで踊り明かした原点に立ち返ったのかもしれない。