2007年の日本シリーズにおいて、中日の日本一がかかった対日本ハムとの第5戦(11月1日)で、NPB史上初の「継投による完全試合」があったのをご記憶にあるだろうか。中日の山井大介氏が8回まで1人もランナーを出さない完全試合だったが、当時の落合博満監督の采配により、9回にクローザーの岩瀬仁紀氏に交代。結果は三者凡退に切って落とし、中日が4勝1敗で53年ぶりの日本一に輝いたのだが、当時はなぜ交代させたのかと落合監督にかなりの批判が上がったものだった。
総合スポーツのYouTubeチャンネル〈スポーツライブプラス〉にて、岩瀬氏がゲスト出演した7月10日投稿回において、同じく中日で活躍した元プロ野球選手で同チャンネルMCの山本昌氏から、当時の「投手交代劇」の舞台裏が明かされた。
山本昌氏によると、実は7回には山井氏の右手の人差し指の皮が剥がれていたのを見ていたという。山井氏は「行けるところまで行きます!」とベンチ裏で山本昌氏に意気込みを語っていたそうだが、勝ちにこだわった落合監督の采配は山井氏の降板だったのだ。
もっとも、この試合は「1対0」とギリギリの攻防だった。山本昌氏は、「おそらく『3対0』か『4対0』だったら、行ってる(山井氏続投)と思うんですよ。あれが第5戦でね、あれ負けると今度(日ハムの本拠地の)北海道に行かないといけないんですよ。そうすると形勢がわからなくなるんで…」と解説。さらに、山本昌氏は「山井投手の考えとしては」と前置きして、「(優勝を)決めるには、指をケガしてる僕よりは岩瀬さんのほうが堅いと思って代わってもらった」と山井氏の当時の心境も明かしてくれたのであった。
同投稿回では、落合監督に交代を命じられた岩瀬氏の心境も本人の口から詳細に明かされている。当時、落合監督を批判していた中日ファンも納得できるような貴重な秘話が拝聴できた、見ごたえのある回であった。
(ユーチューブライター・所ひで)