プロ野球OBが1300人所属している「プロ野球OBクラブ」のYouTubeチャンネル〈プロ野球OBクラブチャンネル〉に、日本ハムファイターズ一筋の元プロ野球選手の広瀬哲朗氏が出演した(10月15日付)。
広瀬氏は1985年にドラフト1位で日本ハム入団。93年に初の3ケタ安打を放ち、念願のオールスターゲーム初出場を果たしている。
その際、ボテボテのショートゴロも一塁に全力疾走し、ヘッドスライディングでヘルメットを飛ばし、ファンを沸かせたそうだが、そこで、当時、一塁を守っていた中日ドラゴンズの落合博満氏の言葉にカチンとしたという。しかしながら、「今思えば、もっと落合さんの言うことを聞いておけば良かった…」と、同投稿回で後悔の念を漏らしていた。
「おめえ、バカか。一塁にヘッドスライディングしてケガでもしたらどうするんだ?」
それが落合氏の言葉だったという。広瀬氏は、「は?何言ってるんだ?」と反発を覚え、当時は理解できなかったと振り返った。
そして、後の97年、落合氏は日本ハムに移籍してきた。すると落合氏は、お互いにいい年だからと、のんびり調整して開幕に備えようと声をかけてきたとか。しかし、ここでも広瀬氏は耳を貸すことなく、レギュラーの座を奪われないようにと躍起に練習したという。
ところが、その練習しすぎが響いたようで、故障で早々に戦線離脱。翌年は1軍での出番はなく、結局引退に追い込まれた。今思えば、レギュラーにこだわり過ぎず、長く現役生活を続けられるようにと…ゆえに、落合氏の言うことを聞いておけば良かったと、広瀬氏は苦笑したのだった。
確かに、現役時代、ケガを覚悟した「必死」な印象は無かった落合氏。唯一、94年5月18日、巨人の槙原寛己氏(当時)が達成した完全試合において、27個目のアウトを取りに行ったファウルゾーンの飛球処理は、「らしくない」プレーだったか。さすがの落合氏も冷静ではいられない緊迫ゲームだったのだろう。
(ユーチューブライター・所ひで)