2016年のシーズン開始を前に、中日の落合博満GM(62)が仕組んだ「恐怖政治」がチーム内外に波紋を呼んでいる。コトの発端は、昨年12月に行われた8人の新人入団発表だった。
レジェンド・山本昌広氏(50)が32年間つけた背番号「34」が、いきなり昨年ドラフト4位の新人左腕、福敬登(23)に継承──。通常、チームの象徴的な番号は元オリックス・イチロー(42)の「51」のように、永久欠番にはせずとも、継承に値する選手が出てくるまで準永久欠番扱いとされるもの。だが球団への配慮はまったくなく、「安売り」した。主導したのは落合GMである。
実は山本氏は、落合氏を含むフロントに「背番号は球団にお返しするものですが、わがままを言わせてもらえば、左腕の濱田が2桁勝利した時に渡してやってもらえないでしょうか」と打診していたという。レジェンドが「指名」したのは、12年にドラフト2位で入団した左腕の濱田達郎(21)。14年にプロ初先発初完封デビューを飾って5勝3敗を上げたが、昨年は左肘を痛めて苦しんだ。だが落合氏は、その意向を無視した。
「球団職員からその事実を聞いた山本氏は絶句。ボー然としたそうです。ファンや関係者の間からは、34番を欠番か準欠番にすべき、との声が出ていました。その声はいずれ、山本監督待望論に変わると思ったんでしょう。次期監督に小笠原道大二軍監督(42)を据えたい意向を持つ落合氏は、有力な『対抗馬』である山本氏を煙たく思い、あえて下位指名の新人につけさせたんですよ」(球団関係者)
そもそも落合氏は監督時代から背番号を変更することで有名で、延べ50人以上の背番号を変えている。球団関係者が続ける。
「背番号は選手にとって、車のナンバーにするほど大事な数字です。発奮材料にするというのが表向きの理由ですが、大事な番号を変えることで『俺はこんなに力を持っているんだぞ』『俺に逆らうとどうなるか』と主従関係を作って選手を心理コントロールする。一種の“洗脳”なんですよ」
落合氏は監督就任直後に「7」をつけていた谷繁元信監督(45)の背番号を森祇晶氏(79)や古田敦也氏(50)ら名捕手がつけていた「27」にならって変更したり、平田良介(27)から「8」を剥奪して「40」を与えるなど、何度もシャッフルを繰り返してきた。今回も背番号のバーゲンは「34」だけにとどまらず、昨年限りで引退した名球会男・和田一浩氏(43)の「5」もドラフト5位の阿部寿樹(26)にアッサリと。同じく退団した川上憲伸(40)の「11」はドラフト1位の小笠原慎之介(18)に渡している。名古屋のメディア関係者が明かす。
「小笠原二軍監督が背負っていた『36』を与えた石岡諒太(23)はドラフト6位なんですが、実は落合氏がずっと目をつけていた選手。小笠原二軍監督の代名詞だった豪快なフルスイングが持ち味で、本人も『落合GMが目標』と話している。“私情”を感じます」
しかも今回の暴走シャッフルは、背番号だけで終わらなかった。25人が暮らす独身寮「昇竜館」の部屋替えも敢行したのだ。13人が退寮するという事情も手伝ったとはいえ、これも気分を一新させると同時に、力を見せつける「オレ流恐怖政治」の一つと言える。
谷繁監督も落合氏の介入手法に何かと拒絶反応を示しているだけに、それらが裏目に働けば──フロント、現場、選手の一体感が失われ、2リーグ制後初の4年連続Bクラスの屈辱を味わうことになるのかもしれない。