80年代から広く知られるようになった「アイドル親衛隊」という集団。82年から参加したプロアイドルヲタク・ブレーメン大島氏が、その歴史を明かす。
僕が初めて親衛隊に入ったのは、花の82年組としてデビューした早見優でした。本当は同期の堀ちえみのファンだったのですが、クラスの友達に誘われるままに、という感じでした。僕はまだ中学2年だったので、親衛隊は怖いお兄さんの集まりだと思いましたね。いや、実際、暴走族上がりの人が多かったですから(笑)。
親衛隊の歴史は、78年デビューの石野真子(60)からと言われています。俳優の木下ほうかさんが真子さんの親衛隊をやっていたことはバラエティー番組でもネタにされていますが、木下さんはそのあと、松田聖子の親衛隊になった。実はこれ、かなり珍しいことなんです。
親衛隊の「乗り換え」は、新人を育てる意味でも同じ事務所の後輩に対してがほとんど。なので、バーニングの真子ちゃんからサンミュージックの聖子に転じるというのは異例ですね。
さて、親衛隊とアイドルの関係はどういうものかというと、もはやマネージャーみたいなものです。SPを兼ねたり、ちょっとヤバい一般ファンを遠ざけたり。もちろん、ファンですから会場を盛り上げるというのも大事な役目です。
よく、それぞれの親衛隊同士はケンカになったりするのかと思われますが、タレント同士の仲がいいように、それぞれの親衛隊も横の連携があります。当時は公開番組が多かったので、盛り上げる人数が少ないと、別の親衛隊が応援に駆り出されることもありました。
では、数ある親衛隊でどこが最も巨大だったか──これはもう小泉今日子ですね。総本部の隊員は3ケタになりましたし、そろいのハッピのカッコよさも群を抜いていた。事務所の先輩の石野真子から流れてきたメンバーがキョンキョンを、その後、後輩の中山美穂や渡辺美奈代(52)を応援する。サンミュージックだと聖子の親衛隊が早見優に、そして岡田有希子へと流れていった形ですね。
そうそう、美奈代の「恋愛(ロマンス)紅一点」(89年)では、Aメロでファンが激しく腕を振る。これが「ロマンス」と呼ばれ、今のオタ芸の原型になっています。