元プロ野球選手の赤堀元之氏は、1988年にドラフト4位で近鉄バファローズ(現在は「オリックス・バファローズ」)に入団。1992年は「1.80」で最優秀防御率に加え、11勝と22セーブで最優秀救援投手に輝いた。以後、3年連続で同タイトルを獲得。96年、97年にも同タイトルを獲り、合計5回の獲得は、江夏豊氏、佐々木主浩氏、岩瀬仁紀氏に並ぶ、最多タイとなる偉大な記録である。
そんな赤堀氏が、プロ野球OBが1300人所属している「プロ野球OBクラブ」のYouTubeチャンネル〈プロ野球OBクラブチャンネル〉の、2月4日付け投稿回に出演。複数回のタイトル獲得を、自身でこう分析している。
「チームが勝たないと、絶対そういうシチュエーションは来ないので、勝つ強いチームだったというのがあったと思います」
赤堀氏は、その最大要因として、90年のルーキーイヤーから4年連続で最多勝利を獲得、また完投数も90年から3年連続で最多だった野茂英雄氏の存在を挙げた。
「野茂さんが投げる時は、ボクは休んでいられるんで。(中略)野茂さん以外でボクが全部投げるようになったので、そのぶん、自分がモチベーションをうまく出しながら投げられた…」
そう振り返った赤堀氏。野茂氏が先発登板の日は、勝ち負けにかかわらず、完投が多いことから休息をとることができ、野茂氏登板以外の試合での「勝敗」を背負う責任感をうまく精神的にコントロールできたことを指摘したのだった。
赤堀氏が「強いチーム」と称賛した近鉄だが、赤堀氏がタイトルを初獲得した92年から2位、4位、3位…と実はAクラスとBクラスを行き来する状況だった。
もしかしたら野茂氏の圧倒的な存在感が、赤堀氏に成績以上に“強いチーム”を印象付けたのではないだろうか。
(ユーチューブライター・所ひで)