リーグ優勝4度、日本一3度に輝いた90年代のヤクルトの躍進は、「ID野球」を引っ提げて90年に監督に就任した、野村克也氏によるものだ。
「ヤクルトに入った瞬間、もうオレは一生、優勝は経験できないんだろうなぁって。優勝を経験せずに辞めていくんだろうなぁと…」
84年にドラフト1位でヤクルト入りし、主力として活躍した広澤克実氏は、プロ野球OBクラブのYouTube〈プロ野球OBクラブチャンネル〉で、そう振り返った。
80年代のヤクルトは、2位が一度あったものの、その他は全てBクラスで、最下位も4度。ところが野村監督が誕生すると、1年目は5位ながら、91年に3位、そして92年にはリーグ優勝を遂げている。
広澤氏は「この人についていけば…」と慕った野村監督の人柄を振り返りつつ、「それと同時に」と挙げたのが、大洋(現・DeNA)の存在だった。
大洋の80年代はヤクルトと酷似しており、83年に3位が一度あるものの、他の年はことごとくBクラス、最下位は3度。その大洋が90年、3位へと上昇したことで、
「この人らも3位になれるなら、オレらも頑張ったら3位になれるんじゃないか、っていうものあったんですよ」
この告白には「おいおい」と、野村監督のボヤキが聞こえてきそうだが…。
(所ひで/ユーチューブライター)