1995年の日本シリーズは、セ・リーグ王者のヤクルトスワローズ対パ・リーグ王者のオリックス・ブルーウェーブ(当時)=現・オリックス・バファローズ=という顔合わせとなった。ヤクルトの監督は名将・野村克也。対するオリックスは策士・仰木彬。そのため、シリーズ前からマスコミがこぞって“野村ID野球対仰木マジックの戦い”と大々的に宣伝。また、両監督もシリーズ開幕前からマスコミや監督会議を通して舌戦という名の心理戦を展開し、対決ムードを盛り上げていた。
オリックスの本拠地・グリーンスタジアム神戸で迎えた開幕戦は、ヤクルトがブロス、オリックスはチームが誇る大ベテランの佐藤義則という先発で幕が上がった。両投手ともレギュラーシーズンでノーヒットノーランを達成しているだけに投手戦が予想されたが、結果的には5‐2でヤクルトが快勝する。
1‐1で迎えた5回表にヤクルトは池山隆寛の2点タイムリーで勝ち越すと、その後、1点差に迫られたが、8回表に代打・大野雄次の2ランでさらに突き放すことに成功。投げては先発のブロスが150キロ台の高めの直球を有効に使った。そして、この年、首位打者・打点王・盗塁王・最多安打・最高出塁率を獲得し、打者部門のタイトルをほぼ総なめにしていたイチローを筆頭とするオリックス打線を8回被安打6の2失点に抑え、チームの先勝に貢献したのだった。
続く第2戦は投手戦となった。オリックスは2回裏にヤクルト先発・石井一久から6番・DJが先制ソロ、さらに5回裏にも1点を追加し、2‐0とリードを奪う。だが、ヤクルトはこれ以降、4人の投手をつぎ込んでオリックスに追加点を許さなかった。すると迎えた8回表にオリックスの先発・野田浩司に4本のヒットを集中させて一気に2‐2の同点に追いつく。試合はそのまま延長戦へもつれ込み、迎えた11回表にこの回先頭の4番・オマリーがレフトスタンドに飛び込む勝ち越しソロ。この主砲の一発でヤクルトが接戦を制し、連勝を飾ったのであった。
こうしてシリーズの流れは敵地で2連勝したヤクルトにあった。神宮球場に舞台を替えた第3戦。ヤクルトは初回にオマリーのタイムリーで1点を先制する。対するオリックスも5回表にイチローの犠飛で追いつくが、その裏に代打・稲葉篤紀の犠飛でふたたびヤクルトが1点勝ち越し。かたやオリックスも7回表に無死一、三塁から1番・田口壮と4番・DJのタイムリーで3点を挙げ逆転。しかしヤクルトは粘る。8回裏には2死満塁から5番・古田敦也が内野安打を放ち、1点差に迫ると、9回裏はオリックスが逃げ切りを図り投入したストッパー・平井正史から7番のミューレンが起死回生の同点ソロを放ったのだ。こうして試合は2夜連続の延長戦へと突入することに。そして決着はまたも劇的だった。10回裏に1死二、三塁のサヨナラの場面を作ると、何と6番・池山がレフトスタンドに飛び込む3ランを放ったのだ。このドラマチックなサヨナラ弾でヤクルトは初戦から怒濤の3連勝。日本一へ一気に王手をかけたのである。
初戦からまさかの3連敗で後がなくなったオリックス。第4戦は先発・長谷川滋利の右腕にその命運が託された。その期待に応え、長谷川は6回を投げ、被安打2の1失点という好投を展開。さらに7、8回は2番手の鈴木平が打者6人に対し、パーフェクトピッチングを見せていた。
だが、打線がヤクルト先発の川崎憲次郎から再三チャンスを作るものの、あと一歩攻めきれず、8回まで0行進が続いていた。このまま終わればヤクルトが日本一となる最終回。ヤクルトベンチはストッパーの高津臣吾を投入せず、川崎の続投を選択。これが裏目に出てしまう。先頭打者の小川博文が起死回生の同点ソロを放ち、土壇場でオリックスが同点に追いついたのだ。その裏サヨナラのピンチを招いたものの、第2戦に先発した野田を投入する執念の継投でしのいだ。こうして3試合連続の延長戦へと突入することとなったのである。
10回裏、オリックスのマウンドには第5戦の先発予定だった小林宏が上がっていた。シーズンでフル回転の活躍を見せたストッパーの平井が第2、第3戦と連続で痛恨の一発を浴びていたからである。小林は1‐1の同点で迎えた11回裏に1死一、二塁というサヨナラのピンチを招いてしまう。迎える打者は4番・オマリー。この絶体絶命の場面でのちに“小林の14球”と呼ばれる名勝負が展開される。カウント1ボール2ストライクから小林は10球を投げ込み、8球がファール、2球がボール。特にファール8球中2球が本塁打性の当たりだったことで観客の興奮が次第に高まっていった。そして勝負が始まってから実に12分20秒後。小林の投げ込んだ14球目は低めのボール球だった。この球にオマリーのバットが空を切り三振。続く古田も抑え、ピンチを脱出したのである。すると、直後の12回表にD・Jが値千金の勝ち越しソロ。その裏を小林が抑え、オリックスがヤクルトに一矢報いて待望の今シリーズ初勝利を挙げたのだった。
だが、次の第5戦でオリックスはついに力尽きる。初回に3番・イチローのソロでオリックスが先制するも、ヤクルトは2回裏に2本の犠飛ですかさず逆転に成功。5回裏にはオマリーのソロでさらに突き放した。結局、オリックス打線はヤクルト先発ブロスの前に7安打1得点と抑えられ、最後は守護神・高津の前に3者凡退。3‐1で勝利したヤクルトが4勝1敗で日本一に輝いたのである。これ以前に過去2回日本一になっていたヤクルトだが、今回は地元・神宮球場で決めた初の日本一だった。
このシリーズにおけるヤクルトの勝因の一つに、野村監督の巧みな心理戦、駆け引きが挙げられる。マスコミをうまく使い、オリックスのイチローの弱点は「内角高めの速球」と戦前から意識させ、4戦目まで稀代の天才打者を16打数3安打に封じ込めたからだ。それはまさに4勝1敗ながら3試合連続の延長戦にもつれ込んだ“接戦シリーズ”を制した勝負の決め手でもあった。
(野球ウォッチャー・上杉純也)