巨人時代の1981年には20セーブで最優秀救援投手のタイトルにも輝いた元プロ野球選手の角盈男氏といえば、巨人から日本ハムに、そして92年に移籍したヤクルトでシーズン終了をもって引退。野球解説者を経て、95年に故・野村克也監督の誘いにより、ヤクルトの1軍投手コーチに就任した。そして野村監督のもと、選手、コーチとしてID野球を学んでいる。
その角氏が、元フジテレビアナウンサーのフリーアナ・田中大貴のYouTubeチャンネル〈田中大貴アスリートチャンネル【アスチャン】〉に出演(8月16日投稿回)。角氏が選手として移籍した92年とコーチに就任した95年は、いずれも「ハマの大魔神」こと、横浜ベイスターズの佐々木主浩氏が最優秀救援投手に輝いた年になるが、「佐々木攻略はたぶん、他の4球団に比べて(ヤクルトは)良かったと思う」と角氏は明かした。
さらに角氏によれば、どのチームも、佐々木攻略の糸口としてストレートを狙うとともに、フォークにも気を配るよう指示するため、2つの球種が頭に残り、どっちつかずになってしまうとのこと。しかし、野村監督の指示はストレート狙いのみだったという。「フォークが来たらどうするんですか?」と選手が問おうものなら、「お前に佐々木のフォークは打てん」との返答だったと野村監督の声色をマネてスタジオの笑いを誘った角氏。「みじめな三振も多かったけど、ヒットを打つ確率もヤクルトは多かったと思う」と振り返ったのだ。
ちなみに、佐々木氏が最優秀救援投手を獲った92年、95年から98年のセ・リーグ優勝チームは、ヤクルトが3回(92年、95年、97年)、巨人1回(96年)、横浜1回(98年)となっている。データを生かす野村監督の采配。貴重な話が拝聴できた、見ごたえのある回だった。
(ユーチューブライター・所ひで)