だが、依然として今回の射殺事件は、犯行動機を含め謎が多いのも事実。中でも被害者と加害者がまったく面識がないだけに、田中受刑者に犯行を依頼した「黒幕」がいるのではと捜査本部は疑問視している。
「事件現場では大東社長の自家用車が物色された形跡はなく、車の中からは現金百数十万円が発見され、物盗り目当ての犯行ではないとの見方から、大東社長に対する怨恨説が持ち上がった。その矢先、14年12月に日本経済新聞が、吸い殻のDNAが工藤会の幹部のものであると報じて、ヤクザと王将の関係がクローズアップされていた」(社会部記者)
この一報を受けて15年1月には、王将フードサービス内で第三者委員会を設置。王将と反社会的勢力の関係について、関係者のヒアリングを実施したところ、その過程で創業者一族と懇意にしているA社との間で93年から06年にかけて総額260億円以上の不透明な取引があったことが浮上した。しかもそのうち、約170億円が未回収になっていたことまで判明したばかりか、この巨額取引を巡る創業者一族と王将フードサービス間のトラブルについても報告書で明らかにしたのだった。
「餃子の王将は創業者の加藤朝雄氏が築き上げ、その後、大株主出身の社長を挟んで、3代目社長に就任したのが朝雄氏の実子である潔氏だった。この潔氏の時代に多額の不動産投資や初代の頃から昵懇のA社との取引がバブルの崩壊で多額の損失を出した。そこで、両者の関係を清算しようと白羽の矢が立ったのが、初代の朝雄氏の妻・梅子氏の実弟だった大東氏でした。00年に社長に就任した当時、売上は350億円に対し有利子負債が450億円に膨れ上がるなど経営危機の状況にあったが、大東氏は不良債権を処分したほか、不透明な取引を清算。経営危機に陥っていた餃子の王将の財務基盤を立て直した中興の祖とも言える存在でした。A社との交渉には大東社長が率先して陣頭指揮にあたっただけに、A社との金銭トラブルが射殺事件の遠因でないかと再三報じられたこともありました」(社会部記者)
だが、こうしたA社と大東社長の抜き差しならぬ関係については、生前、公になることは一切なかった。
「大東さんは、暗殺される1カ月前にA社との不透明な取引の全容を記した調査報告書をまとめていた。だが、まったく公表することなく、ごく一部の幹部数人だけが知るにとどまっていた。それほど、A社と王将の根深い関係があっただけに、大東さんのような豪放磊落なトップでさえ、忖度せざるをえなかったということでしょう」(経済誌記者)
皮肉なことに餃子の王将に眠っていた「パンドラの箱」は射殺事件をキッカケに、一気に表沙汰になったのだ。
「結局、第三者委員会の報告書では、『王将フードサービスは反社会的勢力との接点がない』として、ヒットマンとの関係について、事実上『なかった』と結論づけたため動機の解明には至りませんでした」(社会部記者)
まさに手詰まりの中、事件は思わぬ展開を見せたのだ。