初の米国挑戦にワクワクが止まらない──。まるで海を渡ってメジャーに挑むプロ野球選手のようなセリフを発したのは、酒造メーカーの会長だった。渡米を決断するまでには何があったのか、アサ芸が肉迫した。
冒頭のように語ったのは、日本酒ブランド「獺祭」を手がける旭酒造(山口県岩国市)会長の桜井博志氏だ。3月8日、岩国市出身の漫画家、本誌連載でもおなじみの弘兼憲史氏が応援団長となり、旭酒造と縁深い人々が集まって、渡米を前に都内で開かれた激励会での一言である。
旭酒造の念願だったニューヨークの酒蔵が今年4月に完成。それにあわせて、桜井氏みずから陣頭指揮を執るべく、米国移住を決断したというのだ。なんと齢72にしての挑戦である。世間ではボチボチ終活でも始めようかと老け込む年頃なのに、現役バリバリとはうらやましいかぎりだ。
獺祭は90年に誕生した比較的新しい日本酒ブランドとはいえ、酒米「山田錦」を磨き上げる、こだわった製法で知られ、雑味のない口当たりで日本酒通に早くから認められてきた。ことに15年当時、安倍晋三総理と米国のオバマ大統領が酌み交わした酒が獺祭だとわかると、あまりの人気ぶりに入手困難になったほど。それでもなぜ、会長みずから先陣を切って渡米しなくてはならないのか。
それは、日本酒を巡る環境の激変と無縁ではない。清酒の国内出荷量は73年の170万キロリットルをピークに減少が続き、20年は40万キロリットルと歯止めがきかない状況だ。世間全体のアルコール離れが顕著な上に、好まれるのが発泡酒やチューハイなど軽くて安いものばかりになっている。
そこで、旭酒造は早くから海外に活路を見出そうと、02年にニューヨークへの輸出を開始。22年には全体の売り上げ165億円のうち、70億円が海外市場と成長を続けている。
そんな中、7年前にニューヨークの世界最大の料理大学から本格的な米国進出の誘いがあった。そこから17年初春に新規事業計画はスタートするのだが、これが困難を極めた。新型コロナの影響もあったが、それよりも米国当局の規制との折り合いがうまくいかなかったという。桜井氏は激励会でこう話している。
「『まだできないの?』と言われて約6年が経ち、ようやく完成の見込みが立ちました。建設コストは当初の30億円が80億円まで膨らんで、株式公開企業の経営者なら、とっくにクビになっていたでしょう」
この逆境が桜井氏の闘志に火をつけた。実父の急逝を受けて、3代目として会社を継いだ桜井氏が倒産寸前だった酒蔵を立て直したサクセスストーリーは有名だ。途中、酒造りの考え方の違いから対立した杜氏に逃げられたが、それをバネに社員だけの酒造りを確立。多くの逆境を乗り越えてきたのだ。
「失敗を棚に上げて懲りずにやってきたせいか、いつまでも40代くらいの感覚なんです」(桜井氏)
年齢を重ねた実感がないと言う。現に、息子で4代目社長の桜井一宏氏も、
「父は最近、内緒で早くもアメ車を買ったんです。心配事としては、米国で交通違反を起こしてアタフタしやしないかって‥‥」
と、実父の壮健ぶりを語った。太平洋の向こう側で日本酒ブーム、いや獺祭旋風が巻き起こる日は近い。