戦後の芸能史の中で忌まわしい記憶として語られるのが、過去の殺人や致死事件にまつわる黒歴史だ。事件の主役たちは、なぜ凶行に及んだのか──。
「殺してしまおう。この女がいなければ」
1976年5月6日、かつての人気歌手・克美しげる(享年76)は、愛人と激しい口論の末、彼女の頸部に手をかけ息の根を止めた。決意から数日後のことだ。
克美は、家計は妻が守り、遊興費は銀座のホステスだった愛人から調達する“二重生活”を送っており、愛人は数十万円単位で克美に貢ぐようになっていた。
そんな中、レコード会社が克美の復活をバックアップするという計画が浮上する。手始めに北海道への営業が決まり、愛人も同行する算段だったが、再起を期す克美には、邪魔者以外の何者でもなかった。
「7年間服役し83年に仮出所した克美は埼玉県内でカラオケ教室を開くと、大盛況。月100万円近く稼ぐほどだったが、89年5月、覚醒剤所持により覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕。常にトラブルに事欠かなかった」(スタッフ)
13年2月27日、脳出血のため栃木県内の病院でひっそりと息を引き取るまで、本格的な芸能界復帰はかなわなかった。
さらに遡ること6年前の69年12月14日、大映女優の毛利郁子(81)が、姫路市内の山中でデート中、車内で不倫相手の男性を口論の末、刺殺。翌日に警察に出頭するという愛憎劇を繰り広げ話題となった。
毛利の代表作といえば、そのグラマーで白い柔肌に蛇が絡まる「執念の蛇」だったことから、“蛇女優”とのキャッチフレーズが付いたが、私生活も蛇のごとき深情けの果てであった。
「しかし、殺人の公判では、致命傷を負った男性が、搬送された病院で『(傷は)自分でやった』と話していたことを知り、涙を流す一幕もありました」(ベテラン記者)
懲役5年の判決を受けた毛利の出所後の消息は不明のままだ。
「セックス&ドラッグ」が高じて、交際相手の女性を死に追いやった押尾学受刑者(36)も記憶に新しい。
09年8月2日、六本木ヒルズ23階の一室で駆けつけた救急隊員が女性の遺体を発見。翌日、押尾が出頭し、MDMAを服用しての「キメセク」の末の死亡事件が明らかになった。麻薬及び向精神薬取締法違反で懲役1年6カ月、執行猶予5年、保護責任者遺棄罪では懲役2年6カ月の実刑判決を受け現在も服役中。
「女性へ送ったメール『来たらすぐいる?』はクスリのことではなく、『俺って変態だから、俺のチンコが欲しいって意味だと言えばいいよね』と口裏を合わせたことを証人に暴露され、『プレイの一種だ』と反論。卑劣な男という印象でした」(スポーツ紙記者)
このまま何事もなければ秋には出所予定だが、驚きの情報もある。
「収監前から交際しているモデルと、獄中結婚するという話も。同房仲間に『俺には彼女しかいない』と話している」(スポーツ記者)
現在も獄の中にいるのが、萬屋錦之介主演の「子連れ狼」の大五郎役で天才子役として一世を風靡した西川和孝(46)。
高校卒業後に芸能界を引退したのち、水泳指導員や市議を経て雀荘を開業した西川は、資金繰りに困り、雀荘店長とともに貸金業の男性を計画的に撲殺。現金約550万円を奪って香港やタイに逃亡するという悪質な手口だった。
判決は無期懲役。西川は芸能界だけではなく、人生というステージからも転落してしまった。