ドラフトには「裏工作活動」のために暗躍するさまざまな人物が登場する。最も有名なのは、「球界の寝業師」の異名で豪腕を発揮し、畏怖の念を集めた根本陸夫氏(故人)である。
西武監督時代に球団管理部長も兼任した(その後、GM専任)根本氏は、80年のドラフト1位で阪急と競合の末に石毛宏典氏(58)を獲得。根本氏は石毛氏をいったん西武系のプリンスホテルに入社させ、囲い込むことで他球団を諦めさせる作戦を取った。もし、くじ引きで阪急が交渉権を獲得していればもう1年、プリンスホテルに残す裏技で‥‥。
翌81年のドラフト6位・工藤公康氏(51)も熊谷組への就職を発表し、プロ入り拒否宣言。他球団が指名回避する中、西武が獲得に成功した。これも根本氏のプランだったとされる。
同様の「手口」は94年のダイエー監督兼球団専務時代にも炸裂、駒沢大学進学を公言させながら城島健司氏(38)を一本釣りした。パ・リーグ関係者が言う。
「最も驚いたのは西武時代、他球団がまったくノーマークの森山良二(51)=現楽天投手コーチ=を単独1位指名した86年のドラフトです。森山はONOフーズという会社の所属でした。ドラフト当日、西武以外のスカウトは『そんな会社があったのか』とどよめいた。もちろん、スポーツ紙の予想リストにも一切、名前は載っていない。実は根本氏は、野球部のないONOフーズに野球部を作って森山を所属させ、ひそかに囲っていたというのです」
まさに寝業師の本領発揮である。スポーツ紙デスクがさらに証言する。
「私が衝撃を受けたのは、同じく西武時代の88年、渡辺智男(47)=現スカウト=の1位指名。ドラフト直前に肘を手術したとの情報が流れ、報道陣は確認に走った。病院で本人から手術痕を見せてもらいました。これでは絶対にプロ入りはないな、と。ところが同時に、遊離軟骨除去手術など受けていないんじゃないか、との疑惑も浮上していました。あの手術にしては縫合痕が長すぎる。ただ肘を切り開いてから縫っただけの、西武が一本釣りするためのニセ手術だったのではないかというのです」
ここまでくると、もはや寝業師というよりトリックの域。いや、これも一つの「駆け引き」なのか──。