「あなた、歌は上手だけど顔が子供っぽいから無理ね。童謡でも歌っていたほうがいいんじゃない?」
審査員の松田トシが明菜に辛らつな言葉を浴びせる。壇上の明菜はひるむこともなく、こう返した。
「童謡を歌えとおっしゃいますが、『スタ誕』では童謡は受けつけてくれないんじゃないですか?」
これが「スタ誕」の放送史に残る激烈なバトルである。その前には「顔に若々しさがない」と酷評した松田だが、180度違う批判をしてまで“明菜嫌い”を徹底させていた。
「何でこの子が予選落ちだろうと不思議だったね。松田さんとの確執は聞いていたけど、絶対、通したほうがいいよって言ったんだ」
日本で初めて「ボイストレーナー」という肩書を持った大本恭敬が振り返る。大本は「スタ誕」の地区予選でピアノ演奏をしながら、審査員も兼ねていた。有楽町・よみうりホールに現れた明菜は、大本をうならせるだけの歌声を持っていた。
「テレビに出る前の予選も何回か落ちているし、テレビ予選では松田さんの点数が厳しかったから決戦へ進めなかった。ようやく3度目の挑戦で最高得点を出して決戦に行けたんだから」
デビューが決まると、恵比寿にある大本の自宅で1日置きのレッスン。1回につき30分から1時間程度のレッスンだったが、明菜の器用さは強く印象に残っている。
「最初からうまかったよ。それと、いわゆるノドに引っかけて歌うクセがあるんだけど、それを『少女A』のサビの♪じれったい、じれったい‥‥のように、ピタッとキメにすることができた。自分で自分の武器を知っている子だったね」
デビューしてからも忙しいスケジュールの合間に大本のもとへ向かう。大本が驚いたのは、豊島園で行われた歌謡ショーでのこと。特設ステージでは歌手たちが次々と出番をこなすが、明菜の番になって激しい雨が降ってきた。
「ずぶ濡れになりながら、それでもステージの前までせり出して『帰らないで、私の歌を聴いて!』と体全体で訴えているような迫力があったね」
デビュー4年目あたりから「明菜ビブラート」と呼ばれる歌唱法に変化した。これも大本に言わせれば、リスナーに対して「私の歌を聴いて」という“心のうねり”がもたらすものであるらしい。
大本は同時期に小泉今日子のレッスンも担当していたが、同学年である2人のこんな場面を見た。
「明菜が『キョンキョンはさぁ』って話しかけてたんだけど、小泉のほうが1カ月半くらいデビューが早い。同い年でも、そういう口のきき方をしたらダメだって怒ったんだよ」
明菜はプイッと横を向き、ふくれた表情をしていた。それでも、それから10年以上が過ぎ、深夜のゲイバーで偶然に再会すると、泣きながら大本のもとへ駆け寄ってきた。
「いろいろあって落ち込んでいた時期だったからね。僕は『負けるなよ』って励まして。あれが彼女に会った最後だった」