デビュー曲の「スローモーション」は最高位30位に終わる。当時の花形番組「ザ・ベストテン」にも、「夜のヒットスタジオ」にも出演はできなかった。作詞・来生えつこ、作曲・来生たかおの姉弟による楽曲の評価は高かったが、2作目の巻き返しが課題となった。
ここで島田は、多くの作詞家や作曲家からコンペ形式で楽曲を募った。そのうちの1つが、まだ作詞家になって1年の売野雅勇(うりのまさお)が書いた「少女A」だった。
売野はそれまで広告代理店にいた嗅覚で、歌謡曲に必要なものは何かを研究していた。
「参考にしたのは阿木燿子さんの一連の作品。例えば『プレイバックPart2』の“バカにしないでよ”のように、捨てゼリフが生きるんだと思った」
1作目と打って変わってツッパリ調の歌詞となった。捨てゼリフは「私は私よ 関係ないわ」とか「特別じゃない どこにもいるわ」とか、全編に登場する。
ただし、当初は別の作曲家のニューミュージック調のメロディがセットになっており、売野の詞だけが採用された形である。曲は、のちにチェッカーズの一連のヒット曲でコンビを組む芹澤廣明の手によるもので、それに合わせて歌詞を手直しした。
「サビは『ねえあなた、ねえあなた』だったものを、より強い『じれったい、じれったい』に変えました」
さらに島田は、売野が書いた1番と2番の歌詞を入れ替えた。結果的に「上目使いに盗んで見ている」と刺激的な歌い出しになった。発売日には誕生日を迎えているので、16歳を17歳に変えた。アレンジはベテランの萩田光雄が手がけ、ギターがうなる印象的なイントロが完成した。
ただし──明菜はレコーディングをかたくなに拒否する。
「こんなの歌いたくない!」
さらに島田に向かって、こう言い放った。
「私のことを調べ上げて歌にしたわけ? だいたい、この『少女A』ってアキナのイニシャル?」
売野が意図したのは、明菜への当て書きではなく、新聞の社会面に載るような世代の総称としての「少女A」である。それでも、あまりにも明菜と一致していたと島田は回想する。
「その当時は知らなかったけど、もともとはバイクの後ろに乗って旗を振り回しているような子だったんですよ、明菜は。それで『自分の歌』と思って、拒否反応があってもしかたない」
だからと言って発売を中止するわけにはいかない。島田は明菜を強引にマイクの前に立たせ、ほぼ一発でレコーディングを完了させた。そして明菜にとっても、作詞家の売野にとっても初めての大ヒットとなった。
「明菜自身はバラードのような歌が好きだけど、本人が好きなものと、お客さんが求めているものは違うというのが『少女A』でわかったんじゃないかな」
明菜は「少女A」が嫌いと公言しながら、コンサートのセットリストから外すことはなかった。