日本の芸能史に残る大スキャンダルのひとつに数えられるのが、1989年7月11日に起きた、中森明菜の自死未遂騒動だ。交際していた近藤真彦の自宅マンション浴室で腕を深く切りつけ、血まみれで倒れていた彼女を、帰宅した近藤自身が発見したのだ。芸能プロ関係者が当時を振り返る。
「状況から考えて、近藤との関係に悩んでの行動だったことには、確かに疑う余地がありませんでした」
そんな明菜に大きなトラウマを残したのは、同年の大晦日に緊急開催された「金屏風会見」だったとされる。
「まだ心身の回復が十分でない明菜が、近藤とともに会見を開いた。明菜は近藤サイドから『婚約会見だから』と聞かされていたのが、開始直前に『謝罪会見』と説明され、何が何だか分からないまま会見に臨むことになったのだと。会見ではリポーターから『結婚は?』の質問がありましたが、近藤は『そういうことは全くありません』と断言。これで明菜は二重、三重に傷つけられたとされました」(ベテラン芸能記者)
だが近年になって、このストーリーがいわゆる「都市伝説」であることが、ほぼ明らかになっている。ベテラン芸能記者が続けて明かす。
「あれは最初から明菜の復帰会見と決まっていました。大晦日の3日前、彼女はデビュー当時から所属していた『研音』を正式に退社し、ワーナーレコードが90%出資して発足した新事務所『コレクション』で活動していくことが発表されていました。しかし明菜本人から、年内に元気な姿を見せ、自分の口から言いたいとの希望があり、急遽、会見を開くことになったんです。しかし、NHK紅白歌合戦の裏にぶつけてきたのは、あまりに配慮がなかった」
これが様々な憶測を呼んでしまったわけだが、近藤の同席についても、
「会見前に明菜が新事務所の社長をともなって挨拶に来た流れで、決まったといいます。近藤も活動しづらい状況が続いていましたし、いい機会だと思ったのでしょう」(前出・芸能プロ関係者)
会場に「金屏風」が準備されていたことが「明菜は婚約会見だと聞かされていた」という説に、妙な信憑性を持たせたのだが、これについても真実が明らかになっている。次回の記事で触れていきたい。
(露口正義)