1989年の大晦日に開かれた、中森明菜の「金屏風会見」。会場に金屏風が準備されていたことが「明菜は婚約会見だと聞かされていた」という情報に妙な信憑性を持たせているが、ベテラン芸能記者いわく、
「あれは会場のホテル側が明菜の復帰をおめでたいものと解釈して、勝手に用意したことが、のちに関係者への取材で分かっています。そもそも婚約会見だとしたら、あの日の明菜のグレーのスーツ姿、地味なメイクというのは、とても理解できませんよね」
この「婚約会見と聞かされていた説」の出どころは、94年に発売された「中森明菜 悲しい性」という一冊の本にあると言われている。
「明菜が『お母さん』と慕った女性による暴露本です。明菜のことを何でも知っているかのような書きっぷりでしたが、実際にこの著者が明菜と行動を共にしたのは、自死未遂事件から数年後の1年程度で、わずかな期間とされます。事件当時のことなど詳しく知るはずもなく、その内容には大いに疑問が残る。しかし、この『婚約会見と聞かされていた』という部分だけが事実であったかのようにひとり歩きし、今も明菜を語る時の枕詞のようになっている。これは本人とすれば、大変迷惑なことなのではないでしょうか」(芸能プロ関係者)
明菜がとっくに近藤のことなど乗り越えていたことは、その後の活動を見れば明らかだ。
(露口正義)